徹底検証 ミレニアム総選挙:「民意」は何を選択したか


第42回総選挙についての総括的論評

 

 

 

はじめに

 

 6月25日(日)、20世紀最後の総選挙となった第42回総選挙が行われました。この選挙の結果については、すでにホームページで簡単なコメント行いました。その後、さまざまなデータが明らかになり、また色々な論評も行われておりますので、これらを参考にしながら、今回の総選挙についての総括的な論評を行いたいと思います。

 同時に、今回の総選挙が小選挙区比例代表並立制という現行選挙制度についての二度目の社会実験であったという立場から、選挙制度のあり方についても検証してみたいと思います。すでに私は、現行の選挙制度については、『一目でわかる小選挙区比例代表並立制』(労働旬報社、1993年)を書いてその問題点を指摘してきました。また、前回1996年10月の総選挙についても、『徹底検証 政治改革神話』(労働旬報社、1997年)で、その結果を「徹底検証」しています。これらの拙著のなかで展開された私の主張や仮説がはたして正しかったかどうか、今回の総選挙の実際を振り返りながら再検証することも必要であろうと思います。

 以下、選挙全体の結果をどう見るのか、各党の消長をどう評価するのか、現行選挙制度の問題点をどう考えるのか、選挙に関連して明らかになった投票率や事前調査についてはどのような問題があるのかなどについて、私の意見を述べさせていただきたいと思います。

 

T。「民意」はどのように示されていたか

 

「民意」とは何か

 

 選挙での「民意」とは何か、それは何によって示されるのか。この問題は明瞭なようで、実はそう簡単でありません。選挙の結果は、最終的には議席数によって示されますが、制度のあり方によっては、この議席数が必ずしも「民意」を正確に反映していないということがあるからです。

 個々の「民意」は、有権者によって投じられる一票一票によって示されます。その集積が、各政党の獲得した得票数になるわけです。投票された票数全体の中でのこの各政党ごとの得票数の割合が、一般に得票率と言われるものです。

 「一般に」と言ったのは、このほかにももう一つの得票率があるからです。それは、「投票された票数」ではなく、「有権者全体」に対する各政党の得票割合を示す数字です。前者の「投票された票数」に対する得票率は「相対得票率」、後者の「有権者全体」に対する得票率は「絶対得票率」と呼ばれます。

 有権者によって投じられた票の数や、その割合は、直接に各政党に対する有権者の支持分布を示しています。このような支持分布は、比例代表制度であれば各政党の獲得議席にそのまま反映されます。したがって、この場合には「民意」をどう見るか、という問題は生じません。得票数や得票率、議席数や議席率のどれをとってみても、違いがないからです。この場合、投票と選挙結果の乖離は基本的には生じません。

 しかし、選挙制度のあり方によっては、このような乖離が、しかもかなり大きな乖離が生ずる可能性があります。たとえば、一選挙区で一人を選ぶ小選挙区制の場合、A政党に属する候補者が51%得票すれば、当選することができます。全国で同様の現象が生ずれば、A政党は51%で100%の議席を独占することができます。しかし、これは立候補者が二人であればという話です。今回のように小選挙区の平均立候補者数が三人以上の場合、票がきれいに割れれば、34%の得票率で100%の議席を占めることも理論的には可能です。

 さて、以上の例から、次のようなことが明らかになります。第一に、小選挙区制では投票に示されている民意と議席に示されている「民意」が大きく乖離することがあるということであり、第二に、その場合、有権者の中での支持分布をそのまま示しているのは投票数や得票率であって、議席数や議席率ではないということであり、第三に、したがって、議席数や議席率で示されているのは「虚構の民意」であって、「実際の民意」は投票数や得票率によって示されるということです。

 再度、確認しておきましょう。小選挙区制という選挙制度では、「民意」は得票数や得票率によって示されるのであり、議席数や議席率によって示されるのではありません。この点、お間違いなく。

 

「実際の民意」は何を示したのか

 

 いささか回り道をしてしまいましたが、それでは、「実際の民意」は、何を示していたのでしょうか。第1表によって、得票数や得票率などの与野党の成績を比較してみましょう。ここで「与党」というのは、自民党、公明党、保守党、改革クラブであり、「野党」というのは、民主党、共産党、自由党、社民党です。与野党それぞれの得票数の比較は、どれだけの有権者がどちらを支持したのか、つまり、「民意」の支持はどちらにどれだけあったかを示しています。

第1表 与野党の成績の比較


総議席議席率議席数議席率得票数相対得票率絶対得票率
与党271議席56.5%80議席
191議席
44.4%
63.7%
2495万票
2761万票
41.7%
45.3%
24.8%
27.5%
野党188議席39.2%100議席
88議席
55.6%
29.3%
3398万票
2853万票
56.8%
46.9%
33.8%
28.4%
その他21議席4.4%0
21議席
0
7.0%
91万票
474万票
1.5%
7.8%
0.9%
4.7%
合計480議席100%180議席
300議席
100%
100%
5984万票
6088万票
100%
100%
59.6%
60.6%

*上段は比例代表区、下段は小選挙区。



 さて、小選挙区の得票数で見れば、与党合計は2761万票、野党合計は2853万票になります。野党の方が92万票、多くなっています。有権者の支持は与党ではなく野党に多く寄せられていたのであり、この点からすれば「勝った」のは明らかに野党です。このような得票分布は得票率でも同様で、与党合計は45.3%、野党合計は46.9%となっています。

 このような与野党間の差は、比例区ではもっと拡大しています。得票での与党合計は2495万票、野党合計は3398万票で、その差は903万票、得票率では与党が41.7%、野党が56.8%となっています。比例区は候補者個人の人気に左右されない政党本来の実力を示していると考えられますから、こちらの方が与野党それぞれに対する有権者の支持をより正確に示していると言えるかもしれません。その点では、野党の得票率が過半数を越えていることに注目する必要があるでしょう。

 つまり、小選挙区制という制度のカラクリを介在させない「実際の民意」は、あきらかに野党を支持していたということになります。今回の選挙について、「勝者なき選挙」という言い方をしている方もおられるようですが、そうではありません。得票の上からだけ見れば、明らかに勝者はあったのであり、与党よりも野党が「勝って」いたことは明らかです。

 また、有権者が政権交代を望んでいなかったかのような論評もありましたが、これも間違いです。有権者の多くが与党よりも野党に投票したということは、与党政権の継続ではなく、交代を望む人が多かったということを示しています。比例区での野党の得票率が過半数を越え、56.8%であったという事実を直視するべきでしょう。

 このような誤った評価や判断がなされるのは、小選挙区制で歪められた結果である議席を問題にしているからです。これは、あくまでも「虚構の民意」であって「実際の民意」ではありません。選挙に示された「民意」を問題にするのであれば、議席ではなく得票を問題にするべきだということを再度強調しておきたいと思います。

 

与党への不信任は明瞭

 

 しかも、与党に対する不信任は、議席の上でも明瞭な形で示されています。これは小選挙区制のカラクリを介在させた後の結果ですが、そのようなカラクリを吹き飛ばしてしまうほどに、有権者の意思は明瞭であったと言えるでしょう。

 それでは、議席の上でも示されている与党に対する不信任とは何でしょうか。それは、与党全てが、例外なく議席を減らしたという事実です。今回の選挙にあたって、与党は統一政策を明らかにし、選挙協力を行い、候補者を調整しました。「連立時代」になってから、95年の参院選、96年の衆院選、98年の参院選と国政選挙が3回ありましたが、その中でも今回は、事前の調整や選挙協力の点で、連立与党は最も磐石の体制をとったということができるでしょう。

 しかしそれでも、改選前に比べて、自民党は38議席減、公明党は11議席減、保守党も11議席減、改革クラブは5議席減で全滅するなど与党各党は等しく議席を減少させ、全部で65議席も減らしたわけです。これら各党が例外なく議席を減らしたということは、個々の政党の選挙への取り組みにおける問題とともに、与党であるが故の要因によって生じたことを示唆しています。特に公明党の場合には、与党に転じて自民党と選挙協力を行ったことは、メリットであったよりもデメリットであったと思われます。

 このように、選挙制度のカラクリを介在させた議席の面でも、連立与党が有権者の支持を失っていたことは明らかだと言えるでしょう。「虚構の民意」によってさえも、与党に対する不信任は明瞭に読みとることができるわけです。

 ただし、ここでも選挙制度のカラクリは生きていました。生きていたからこそ、与党各党の議席の減少幅は当然あり得る数よりも少なく、与党全体としての減少も、65議席の減とはいえ「絶対安定多数」を確保する程度にとどまってしまいました。このカラクリがなければ、与党の減少はもっと大きく、有権者の過半数の支持を失った与党は、当然にも政権の座から去っていたはずです。

 

小選挙区制の最大の欠陥=「逆転現象」は生じていた

 

 このように、与野党間の勢力関係の検証だけからでも、すでに、小選挙区制の問題点は明らかになります。しかし、実はこれ以上に大きな問題が存在しています。それは、小選挙区制における「逆転現象」という問題です。

 私は、前掲の拙著『一目でわかる小選挙区比例代表並立制』を、小選挙区制における「逆転現象」の説明から始めました。その「プロローグ 25人学級の怪」は、全員で手を挙げると多数(少数)なのに、グループに分かれて一人の代表を選ぶと何故か少数(多数)になってしまうというものでした。

 このような少数が多数になり、多数が少数になる「逆転現象」は、小選挙区制という制度自体にはらまれている最大の問題であると、私は考えています。この一点だけでも、小選挙区制は民主主義社会における選挙制度として採用される資格はないというのが、私の意見です。

 さて、このような「逆転現象」は、今回の総選挙では生じなかったのでしょうか。明らかに生じていました。先ほども指摘したように、小選挙区で45.3%、比例区で41.7%という与党全体の得票率は、どちらも野党全体の得票率(小選挙区46.9%、比例区56.8%)よりも下回っていました。しかし、議席率で見ると、小選挙区では63.7%、比例区では44.4%になっています。

 ここに見られるように、問題は小選挙区制です。比例区では与野党の得票率と議席率の差は数ポイント(与党2.7ポイント増、野党1.2ポイント減)で、それほど大きなものではなく、いずれも野党の方が多くなっていて「逆転現象」は生じていません。多く支持を受けた側が多くの議席を占め、多数はそのまま多数になるという当たり前の現象が生じています。

 しかし、小選挙区ではそうなっていません。与党の得票率45.3%の方が野党の得票率46.9%よりも1.6ポイント少ないのに、議席率では多くなって63.7%と過半数を越えています。逆に野党の議席率は29.3%に減少しています。明らかに「逆転現象」が生じていました。野党に比べて、得票率で1.6ポイント少ない与党が、議席率では34.4ポイントも多くなっています。少数がいつのまにか多数になる。これは「民意」を尊重したことになるのでしょうか。これでも民主主義だと言えるのでしょうか?

 ここでもう一つ、極めて重大な問題が持ち上がってきます。つまり、今回の選挙で、小選挙区制は与野党間の政権交代を阻んだということです。もし、小選挙区制でなく、得票と議席が乖離しない選挙制度であったなら、少ない得票の与党は少数に、多く得票した野党は多数になりますから、当然にも政権交代が起きていたはずです。

 しかし、実際には政権交代どころか、与党は「絶対安定多数」を確保してしまいました。まさに、45.3%の得票率で63.7%の議席率を可能にした小選挙区制のカラクリさまさまというところでしょう。こうして、その導入論者の主張とは反対に、小選挙区制は政権交代を促進するどころか、その実現を阻んだというのが、今回の総選挙の実際でした。

 もし小選挙区がなく比例区だけであったなら、事態はさらに明瞭になります。与党41.7%、野党56.8%という相対得票率はそのまま議席率に反映され、野党は過半数以上の議席を獲得し、与野党間の政権交代は極めて明瞭な形で生じていたでしょう。「政権交代のために小選挙区制の導入を」と叫んでいた人たちは、この事実をどう見るのでしょうか。

 

 

U。各党はどのような成績を残したのか

 以上に見たような選挙全体に対する評価を前提にして、各政党の消長をどう評価するか、その背景や原因をどう見るか、という点について、検討することにしましょう。今回の総選挙での各党の結果は、表2のようになっています。

第2表 総選挙での各党の成績


総議席議席率議席数議席率得票数相対得票率絶対得票率
自民党233議席48.5%56議席
177議席
31.1%
59.0%
1694万票
2495万票
28.3%
41.0%
16.9%
24.8%
民主党127議席26.5%47議席
80議席
26.1%
26.7%
1507万票
1681万票
25.2%
27.6%
15.0%
16.7%
公明党31議席6.5%24議席
7議席
13.3%
2.3%
776万票
123万票
13.0%
2.0%
7.7%
1.2%
自由党22議席4.6%18議席
4議席
10.0%
1.3%
659万票
205万票
11.0%
3.4%
6.6%
2.0%
共産党20議席4.2%20議席
0
11.1%
0%
672万票
735万票
11.2%
12.1%
6.7%
7.3%
社民党19議席4.0%15議席
4議席
8.3%
1.3%
560万票
232万票
9.4%
3.8%
5.6%
2.3%
保守党7議席1.5%0
7議席
0%
2.3%
25万票
123万票
0.4%
2.0%
0.2%
1.2%
改革クラブ0 議席0%-
0
-
0%
-
20万票
-
0.3%
-
0/2%
その他21議席4.4%0
21議席
0
7.0%
91万票
474万票
1.5%
7.8%
0.9%
4.7%
合計480議席100%180議席
300議席
100%
100%
5984万票
6088万票
100%
100%
59.6%
60.6%

*上段は比例代表区、下段は小選挙区。




制度のカラクリに助けられた自民党


 今回の総選挙での自民党の当選者は、小選挙区で177人、比例区で56人、合計で233人でした。改選前議席は271でしたから、38議席を失ったことになります。この減少数は、過去最大の数になります。つまり、自民党は結党以来最も大きな敗北をこうむったということを意味しています。

 これだけ自民党が負けた原因はさまざまあるでしょうが、その大きな要因の一つは、森首相の度重なる「失言」であったと思われます。特に、「寝てくれればいい」発言は、選挙が終盤にさしかかり、無党派層などが「さてどうしようか」と考え始めたその時に絶妙のタイミングで発せられ、しかもこれら無党派層の心情を逆なでするものであったという点で、かなりの影響があったように思われます。

 しかし、それでも自民党の成績は惨敗というほどのものではなく、損害が少ないように見えるのは、改選前の数の271が過半数の251を20議席も上回るものだったからです。しかし、事前の世論調査での内閣支持率の低さや連立与党の不人気ぶりからすれば、もっと減ったいたはずではないかと思われるかもしれません。確かにそのとおりです。事実、今回の選挙でも、有権者の中で自民党に投票した人の割合(絶対得票率)は、小選挙区で24.8%、比例区で16.9%にすぎません。つまり、有権者の四分の一から六分の一の人しか、自民党には入れていなかったのです。

 それなのに自民党が233議席も獲得できたのには、いくつかの理由があります。

 最大の理由は、選挙制度の問題です。特に小選挙区制は、自民党の議席だけを増幅させるという魔法のような仕組みだと言わざるを得ません。小選挙区での自民党の相対得票率は41.0%ですから、これがそのまま議席に反映される比例代表制であれば、自民党の議席は123になっていたはずです。そうなれば与党全体の議席も217議席となって、過半数の241議席を大きく割り込んだはずです。

 しかし、実際には自民党の小選挙区での議席は177になり、差し引き54議席も得しています。この54議席という数は、民主党が比例区で獲得した47議席を上回っていますから、自民党は小選挙区制という制度によって民主党の比例区での獲得議席以上をプレゼントされたということになります。こんなインチキが許されていいのでしょうか。これでも、民主主義だなどと言えるのでしょうか。

 このような、比例代表制なら得られるはずのない54議席を、小選挙区制であるが故に手に入れることができた自民党は、41%の得票率で59%の議席を獲得することができました。まさに、「小選挙区制の魔術」というべきでしょう。ただしそれは、179議席になるはずの自民党を54もかさ上げして233議席にしてしまうという、有権者にとっては「悪魔の魔法」にほかなりません。自民党は、「悪魔」の手を借りて、ようやく230を越える議席を手に入れることができたということになります。

 もう一つの理由は、自民党を支持していない人々が選挙に行かず、森首相の期待通り「寝てしまった」からです。投票率は前回よりも3ポイントほど高まりましたが、しかしそれでも歴代二位の低水準で、二時間の時間延長にもかかわらず、大きな前進はありませんでした。投票率がもっと上がっていれば、自民党はさらに大きな後退に見舞われたでしょう。このことは、投票率の比較的高い農村部で自民党が多くの議席を獲得し、比較的低い都市部で民主党の当選が多かったことからも明らかです。

 第三に、政策問題をめぐる深部の理由もあります。景気回復の足取りは重いとはいえ、若干の明るさが見えてきた、あるいはそう思わせた、ということです。景気回復をにおわせるような各種の経済指標の発表が正しいかどうかという点ではかなりの疑義があるとはいえ、問題は、有権者がどう受け取ったかという点です。政府の発表を信じて景気回復に期待をかける人は、連立与党の成果を評価したでしょう。株価が一時の安値から上昇に転じ、選挙期間中にも上がり続けていたという事実も無視できません。都市中上層部における支持の瓦解を防止した要因の一つをここに見ることができるように思われます。

 また、公共事業に依存している地方などでは、予備費5000億円の追加支出で景気回復の勢いを強めてほしいと思ったかもしれません。農村部での自民党の強さは、利益誘導政治の効力が未だ衰えてはいないという事実を物語っています。

 さらにこのほかにも、自民党の議席の減少を阻んだと思われる要因がいくつかあります。その一つは、公明党との選挙協力です。これについては既に多くの指摘がありますので、詳しく述べる必要はないでしょう。公明党が推薦した自民党候補者は161人いましたが、その勝敗は113勝48敗です。勝率は70.2%と、7割を越えました。ただし、この協力については、立正佼正会など創価学会に反発する支持者の離反を招き、自民党本来の組織的体力を低下させるという面もあります。長期的に見て、自民党にとってプラスになったかという点では、議論の分かれるところでしょう。

 もう一つ考慮しておかなければならないのは、一票の価値の不均衡という問題です。同じ一人を選ぶ選挙区でも、農村部の選挙区の有権者が少なく、逆に都市部の有権者が多いという現象が生じています。人口最小の島根3区(24万359人)と最大の神奈川14区(58万7813人)との格差は2.45倍に広がり、格差が二倍以上を越える選挙区は83選挙区に達しました。今回の選挙では、自民党の農村政党化が顕著でしたが、このような一票の格差も自民党に有利な条件を生み出していると言えるでしょう。

 このように、自民党は選挙制度のカラクリや欠陥に助けられ、公明党の助力を得て233議席を獲得しました。しかしそれでも、結党以来最大の減少を免れなかったことは、先に見たとおりです。自民党に対する有権者の風当たりは、このような制度のカラクリや自公協力の壁によって基本的には跳ね返されましたが、その風圧はかなりのものだったといえるでしょう。

 このような自民党に対する風圧は、民主党がもっとうまく対応していればさらに大きなものとなり、与党の壁を押し倒すほどの力を得た可能性があります。得票だけでなく議席においても与党を追い込む可能性が今回はあったと思いますが、それは実現しませんでした。この点では、自民党は「民主党の失敗」に助けられたと思います。その「失敗」とはどのようなものだったのか。次に、民主党について検討してみることにしましょう。


「地滑り」を起こしきれなかった民主党


 今回の総選挙で、民主党は、小選挙区で80議席、比例区で47議席、あわせて127議席を獲得しました。改選前議席は85議席ですから42議席増やしたことになります。この増加分は、自由党の22議席と共産党の20議席をあわせた議席に匹敵します。二党分も増やしたわけですから、躍進そのものです。

 しかし、127議席という数は、総議席のほぼ四分の一強に過ぎず、かつての社会党の到達点と同じくらいの水準です。単独での政権樹立という民主党自身の目標からすれば遠く及びませんし、選挙前の内閣支持率の低さや森首相の「失言」の連発という追い風を十分に生かし切れたようにも見えません。民主党は躍進したが、しかしそれは「大躍進」というほどのものではなかったということになります。

 さて、それでは、民主党は何故、躍進したのでしょうか。

 その要因の第一は、連立政治への批判であると思われます。連立与党の人気のなさは選挙前の内閣支持率18%、連立与党を評価する人20%という数字に示されています。この数字の背後には、将来への不安、景気回復の足どりの重さ、中央と地方分あわせた借金が640兆円という財政問題への懸念、森首相の一連の「失言」への批判などの問題が存在しています。「これでいいのか」という問いに対する「このままでは困る」という回答が、民主党への支持という形で表明されたというわけです。

 第二は、「野党第一党効果」であると思われます。上に見たような、「このままでは困る」という態度表明は、自民党など連立与党の候補者を落選させることによって実現できます。そのためには、連立与党に対抗できる勢力の力を借りなければなりません。こうして、「野党第一党」への力の集中が生ずることになります。有権者は、必ずしも民主党支持でなくても、与党候補を落選させる手段として民主党を利用するわけです。このために民主党は、本来の支持者以外の支持を幅広く集めることができるようになります。このような「野党第一党効果」は、かつての社会党にも、98年の参院選でも見られた現象です。

 第三には、有権者の側も小選挙区制に慣れ、このような当選可能な候補への意識的な投票の集中、つまり「戦略的投票」を行うようになってきたという面もあるのではないでしょうか。小選挙区では与野党ともに当選可能な候補者に入れ、比例区では本来の支持政党に入れるというクロス投票がかなり広範に行われた形跡が見られます。たとえば、自民党は選挙区では42%も得票していますが、比例区での得票は28.3%にすぎません。また、民主党も小選挙区では27.6%得票していますが、比例区では25.2%になっています。共産党の場合には比例区より小選挙区の得票率が高くなっていますが、これは小選挙区でも議席を争うということで力を入れた結果だったと思われます。

 このように、「戦略的投票」の選択という間接的な形で、民主党もまた小選挙区制の恩恵を受けていたということができるでしょう。ただし、民主党の場合には、かなり票を伸ばしながらもあと一歩及ばず落選するという例も多く、小選挙区での死票が増大した結果、得票率27.6%に対して議席率26.7%と、0.9ポイント低下しています。民主党の場合には、自民党と違って小選挙区制のカラクリによる直接の恩恵はなかったと言えるでしょう。

 しかし、このように「躍進」した民主党ですが、政権交代を実現できるほどには「大躍進」しませんでした。今回の躍進は、勝利ではあっても「地滑り的な」勝利と言うわけにはいきません。それは何故でしょうか。何故、森首相が吹かせてくれた「風」を生かして「地滑り」を生み出せなかったのでしょうか。

 第一に、有利な情勢を生かし切れなかった民主党自身の問題があります。今回の選挙で民主党は、政策や政権構想の問題で動揺を繰り返しました。このような動揺が、政権政党としての信頼を獲得する上で、一定の障害になったことは明らかでしょう。

 例えば、政策の問題では、課税最低限の引き下げという「苦い薬」戦術を採用しましたが、「貧乏人いじめだ」との批判が出ると途中で児童手当による低所得者対策を打ち出し、実質的にはこの「薬」が「苦い」のか「甘い」のか、わからなくなってしまいました。結局、この「苦い薬」戦術は、負担増をも恐れずに財政債権問題に取り組む民主党の姿勢を示すというポーズにすぎなくなったと言えます。

 第二に、政権構想の揺れの問題があります。民主党は、連立与党からの「民共政権批判」に答えて、民主党単独政権論を打ち出したり、自民党の加藤紘一元幹事長に秋波を送ったりという、一貫しない態度を示しました。また、「共産党との関係をどうするのか」という「共産党問題」については連立を拒否しましたが、「それで野党政権はできるのか」という疑問には、最後まで明確な回答が与えられませんでした。

 この問題も、政権交代を主張する民主党のアキレス腱であり、有権者の信頼が得られなかった一因であったと思われます。民主党は、野党連立構想を明確に打ち出し、共産党に対しても一定の協力を求める方向を示すべきだったと思います。あるかないかわからない自民党の分裂に期待するべきではなく、また分裂したとしても、選挙で戦った与党勢力の一部と選挙後直ちに連立するなどという無節操な対応はとるべきではありません。まして、「加藤首班構想」などは百害あって一利なしだったと思います。このような構想は、かえって民主党の自信のなさを示し、政権担当能力への疑義を生み出すものだったと言えるでしょう。

 第三は、政策や政権構想におけるこのような動揺は、民主党自身の立場や方向がいまだ十分には定まっていないという、政党としてのアイデンティティの問題を反映しています。そもそも民主党は98年の参院選に向けて急遽結成された「選挙互助会」政党であり、その構成員は、自民党出身者、旧さきがけ出身者、旧民社党出身者、旧社会党出身者までさまざまです。党内には多様な意見があり、国旗国家法案の採択で賛否が真っ二つに割れたのは記憶に新しいところです。

 民主党の政策的な動揺の背景には、このような党内での多様な意見の存在があります。民主党は基本的には規制緩和など新自由主義的な政策を掲げており、中所得者以上の都市居住者にターゲットをすえようとしています。課税最低限の引き下げや地方偏重の公共事業への批判は、このような脈絡から出てきます。しかし他方で、旧社会党出身者もおり、低所得者や公共事業に依存する地方の有権者への配慮も完全には捨て去ることができません。このようなジレンマが、民主党の揺れや一貫性のなさとして表現され、有権者の目には頼りなさとして映るわけです。

 今回の選挙で民主党は政権を狙い得る政党として、一応の認知を受けたと思います。しかし、まだ、政権そのものを委ねるだけの信頼が得られていません。民主党にとっては一刻も早く党内の異論を整理して政党としてのアイデンティティを確立することが必要です。今回の中途半端な躍進は、そのための準備期間として有権者によって与えられた猶予だったのではないでしょうか。

 もう一つ、本質的な問題ではないかもしれませんが、無視できない点があります。それは党首の問題です。鳩山由紀夫党首は、闘いの先頭に立つ政党のトップとしては、あまりに頼りない印象です。私の周りには、「あの頼りなさが都会の若者には受けるのだ」という人もいますが、しかし、私の目から見れば、起きているのか寝ているのかわからないような迫力不足を感じざるを得ません。特に、政党討論会などで党首同士がやり合う場では、大変見劣りするという印象です。「テレビ時代」にあって、これは大きなマイナスでしょう。

 鳩山さんの人気は、いまだ菅さんにおよばず、この間の民主党の動揺にも見られるように、その指導力にも疑問があります。鳩山さんは、小選挙区で苦戦し、あわや落選かという危機に直面しましたが、この選挙区での苦戦も、有珠山噴火に関連して公共事業問題で追いつめられたためばかりではなかったように思われますが、いかがでしょうか。


自民党の「踏み台」となった公明党


 公明党は、今回の選挙で、小選挙区7議席、比例区24議席、合計31議席を獲得しました。選挙前には42議席ありましたから、11議席の減少です。公明党の場合、選挙区には当選を狙える候補者しか立てませんから、18人の立候補者のうち7人しか当選しなかったというのは前代未聞であり、大きなショックでしょう。

 しかも、このような小選挙区での成績は、自民党との選挙協力を行い、万全の体制を組んだ上での結果ですから、衝撃も大きいと思われます。開票速報を見ながら、神崎武法代表は「小選挙区制が小政党にとってこんなに厳しいとは思わなかった」とぼやいていましたが、小選挙区制のこわさが身にしみたのではないでしょうか。

 しかし、小選挙区制が公明党にとって厳しいものだということは、初めからわかっていたはずです。だから公明党は、小選挙区制の導入と並行して大政党への合流戦略を採り、「公明」と「公明新党」に分党した上で、衆院議員によって構成される後者が新進党に合流するという「奇策」に出たわけです。

 ここでの公明党の「誤算」は、信頼していた小沢一郎党首が「純化路線」を目指して新進党を解散してしまったということにあります。そのために、公明党の「奇策」は失敗してしまいました。こうして、念のために残しておいた「公明」と合流して「公明党」を復活せざるを得なくなったわけです。

 もし、新進党のままで総選挙を戦ったなら、神崎代表の嘆きはなかったでしょう。しかし、「死んだ子」の年を数えてみても仕方ありません。というわけで、公明党は自民党との連立を選択し、選挙協力に賭けるという第二の「奇策」に出たわけです。それまで厳しく批判していた自民党との節操なき連立は、総選挙での小選挙区対策のためであったという側面を見逃してはなりません。

 しかし、自民党が候補者擁立を見送って協力した小選挙区での勝敗は5勝5敗と五分の成績になっていますから、この第二の「奇策」もあまり効果がなかったようです。結局、公明党は、自民党の得票数を増大させて当選圏に押し込むための「踏み台」として利用されたということになるでしょう。

 そもそも、自民党は政党としての組織はほとんど存在せず、議員個人の後援会の寄せ集めです。自民党の後援会は個人的なつながりを中心にし、「政治的支持を調達するための集団でありながら、しかし実際には非政治的な『疑似共同体的性格を帯びる』集団へと変貌」(拙著『政党政治と労働組合運動』御茶の水書房、1998年、78頁)していますから、「後援」する議員個人を離れて行動することはほとんどありません。ここに公明党の「誤算」があります。党本部や創価学会本部が号令をかければ一斉に動き出す公明党と、党本部よりも議員個人の言うことを聞く後援会主体の自民党とは、そもそも政党のあり方が異なっています。したがって、同じ選挙協力とは言っても、その効果に大きな違いが出るのは当然でしょう。

 さてここで問題になるのは、今回の連立への参加によって公明党が得たものと失ったものとどちらが多かったのかということです。公明党が得たものは、与党としての立場であり、総務庁長官の大臣ポストであり、児童手当の引き上げなどの政策的成果です。逆に失ったものは、野党として培ってきた「平和の党」「福祉の党」「貧しいものの味方」としてのイメージであり、他の野党との協力関係であり、衆院での11議席であり、選挙での「不敗神話」です。その総括はまだ早すぎるかもしれませんが、連立の可否を含めて真剣に検討してみるべき問題でしょう。

 これまで、自民党と協力し、連立してきた政党は、新自由クラブ、社会党、新党さきがけ、自由党など、いくつかあります。しかし、いずれも衰退し、自由党以外は現在では存在していません。まるで自民党に生き血を吸われ、生気を失っていったかのようです。逆に自民党は、危機に陥るたびにこのような政党との連立を巧みに利用してよみがえり、第一党の地位を保持しつつ、今日まで政権政党としてのポジションを維持し続けています。まさに、ドラキュラのような政党だと申せましょう。公明党もまた、この「ドラキュラ政党」の格好の餌食となって、自民党再生の犠牲になるのでしょうか。


森首相に助けられて生き残った自由党


 選挙直前に分裂し、存続の危機に直面した自由党は、今回の選挙に生き残りをかけて臨みました。その結果、小選挙区4議席、比例区18議席、合計22議席を獲得し、自由党は生き残ることができました。生き残っただけでなく、改選前より4議席増やし、反転攻勢の芽を出すことに成功したと言えるでしょう。小沢党首には不満だったかもしれませんが、存亡の危機にあった自由党にとっては、望みうる最良の結果だったと言えるでしょう。

 このような自由党の前進に最も貢献度が高かったのは、たぶん、森首相でしょう。森さんのおかげで自民党が敗北しなければ、自由党はこれほど増えなかったと思われます。特にそれは、比例区において顕著であると言えるでしょう。自由党の比例区での得票は小選挙区の約三倍強であり、ほぼ共産党の得票に匹敵しています。この自由党の比例区での得票のかなりの部分は、森首相の「失言」に愛想を尽かせた自民党支持者からのものであると考えられます。自民党の小選挙区と比例区との差は800万票もありますが、その一部が民主党に、他の部分は自由党に回ったのでしょう。

 自由党の比例区での得票には、もう一つの出所が考えられます。それは保守党支持者からのものです。保守党の場合には、自由党とは逆に小選挙区の方が多く、比例区での得票は小選挙区の五分の一になっています。この差、約100万票のうち少なくない部分が、かつての同志である自由党に回ったと考えられます。

 このような自由党前進の背景として無視できない要因は、この間の日本社会の右傾化傾向です。昨年の通常国会では、新ガイドライン関連法、国旗国家法、盗聴法、憲法調査会設置法など、国家主義的で右翼的な方向の法律が相次いで成立しました。小林よしのりの『戦争論』が良く売れ、石原都知事の民族差別的な発言が容認され、憲法改正論が多数意見になっているように、国民のなかでの軍国的・排外的・権威主義的な雰囲気が強まってきています。自由党の前進はこのような社会的雰囲気を政治的に表現したものだということができるでしょう。

 もう一つ、重要だったと思われるのは、自由党の政策というよりもその姿勢です。少数になっても掲げる理念や目標を頑固に追及する姿勢は、体制順応的な風潮のなかで一定の新鮮さを持って受け止められたのではないでしょうか。嫌われても、逃げられても、叩かれても、それでも主張を曲げない小沢党首の一貫性が、これにダブってきます。小沢党首の顔が殴られる自由党のテレビCMが話題を呼びましたが、これについて、藤井裕久幹事長は「党首の役割は大きかった。……これまで歩んできた道があの画像と完全にオーバーラップしたから受けた」と評価しています(『朝日新聞』7月1日付)。そうだろうと思います。

 したがって、自由党の前進は、かつて私が指摘した、「現状維持派」「リベラル的改革派」「革新派」の三つのグループと並んで、「権威主義的改革派」(前掲拙著、90頁)がいまだに一定の政治勢力として存在し続けていることを示しています。ただし、朝鮮半島の平和的統一に向けての南北合意や緊張緩和の進展など、このグループの目指す方向と日本をめぐる極東情勢の変化の方向とは全く逆になっていますので、このような前進が今後も続くかどうかは微妙だと申せましょう。


政権チャレンジ政党としての試練に直面した共産党


 事前の調査や報道で躍進するとの観測を持たれていた共産党は、今回の選挙で後退しました。その成績は、小選挙区では議席を得られず、比例区も20議席にとどまり、得票と議席を減らしました。1994年から「歴史的勃興期」(前掲拙著、224頁)を迎えていた共産党は、各種の選挙で議席を増やし続けてきましたが、今回初めて議席を減らしました。この共産党の後退をどう見たらよいのでしょうか。

 今回の成績を前回総選挙と比較すれば、一つの指標を除いて、共産党は他の全てで現状維持または後退しています。前進したのは小選挙区での得票数で、25万票増えています。これを反映して、小選挙区での絶対得票率も前回と同じになっています。全体としては前回とほぼ同じか、若干の後退ということになります。これが6議席の後退という形で増幅されたのは、共産党が小選挙区で完敗したためだと思われます。この点に、“共産党対策”としての小選挙区制の性格が明瞭に示されていると言えるでしょう。

 同時に、98年参院選の比例区得票820万票と比べれば、今回衆院選の比例区では148万票の減になっています。この数字からすれば、共産党の後退はかなり大きなものだったということができるでしょう。

 この共産党の後退の要因としては、第一に、比例区定数20議席削減の影響をあげることができます。議席のほとんどを比例区から獲得する共産党にとって、ここでの定数削減は、他の政党以上に大きな影響を及ぼすことになります。とはいえ、それは6議席も後退するほどのものではありません。

 第二に、選挙期間中に激しく展開された共産党に対する「ピンポイント攻撃」、すなわちネガテイブ・キャンペーンの影響をあげることができます。出所不明の謀略ビラによる反共産党宣伝は選挙のルール違反であり、民主主義社会における選挙のあり方として許されるものではありません。しかしこれも、無党派層の足を止める効果があったとはいえ、それだけで今回のような後退が生まれたとは考え難い面があります。

 第三に、共産党の選挙戦術の失敗という問題も考えられます。それは、議席に結びつかない小選挙区で得票を25万票増やし、議席に結びつく比例区で得票を55万票減らしている点に、端的に示されています。これでは議席は増えません。小選挙区で増えたのは、ここでも議席を狙うということで重点区を決め、選挙運動に力を入れた結果であると思われます。それにもかかわらず小選挙区では議席に届きませんでした。他方、比例区には相対的に力が入らず得票力が減退したため、今回のような結果になったと思われます。

 また、選挙での争点提起も、もっと具体的にもっと的確に行う必要があったでしょう。公共事業の削減という点では、諌早湾の干拓や中海干拓、長良川の河口堰、吉野川の第十堰などを前面に出し、ルールの確立という点では解雇制限法の制定にもっとこだわるべきだったでしょう。共産党の独自性を示すことのできる消費税問題は、選挙の途中からではなく、最初から重要争点の一つとして提起するべきだったと思います。これら、個々の政策提起上の問題でも反省すべき点が少なからずあったようです。しかしこれらの選挙戦術上の問題も、躍進の予測を後退に転化させるほどの影響があったとは思われません。

 第四に、これまで共産党は、旧来の支持者を保持しながら、保守的無党派層など新しい層の支持を獲得するという戦術を採ってきました。これは、うまくいけば支持層を大きく拡大させますが、失敗すれば両者の支持を失うというリスクがあります。

 出口調査などを見ると、無党派層の支持は今回もそれなりにあったようですが、旧来の革新的支持層では一部が離反し、社民党に流れ込んだ可能性があります。自衛隊や安保に対する態度の軟化、小渕首相の死去に際しての談話や「皇太后」の死に際して参議院で決議された「弔詞文」への賛成など、政権担当者や天皇制に対する柔軟な態度表明という「現実化」が、これまでの革新的支持層の一部の反発を招いたからです。

 結局、以上のような諸要因は、現状維持が後退に変わる程度のものであって、この間の躍進の勢いを押し止め、後退させるという大きなマイナスをもたらすほどのものではなかったように思われます。それでは、何故、事前の躍進予想を裏切って共産党は後退したのでしょうか。

 その最大の原因は、共産党が政権に接近し、いよいよその政権参加が現実的な問題として話題になってきたからではないでしょうか。94年以降の国政選挙での躍進によって力を付けてきた結果として、共産党は政権参加を展望しうる地点にまで到達しました。しかも、すでに述べたように、連立与党と野党との政権交代は、得票数からすれば現にあり得る現実的可能性を持っていました。だから、与党側の危機感はすさまじく、「民共政権攻撃」や共産党を狙い撃ちにした「反共攻撃」もまた、かつてない規模と激しさで展開されたわけです。

 このような状況のなかで、有権者の側にも一定の戸惑いや“ためらい”が生まれたように思われます。これまで、まず、共産党は治安対策の対象とされるべきでない普通の政党として認知され、次いで、異議申し立てをするための強力な野党としての実績を示してきました。そして、今回、いよいよ、政権党へのチャレンジ政党としてノミネートされようとしたわけです。しかし、有権者は、異議申し立てのための野党としての共産党の効用を認めつつも、政権に参加しうる政党としての信頼を寄せる点で、ある種のためらいを見せたのではないでしょうか。

 このためらいは、有権者の側の認識不足という面もあるでしょうが、同時に、共産党の側の信頼醸成努力の不足という面もあるでしょう。共産党は、有権者にとって野党としての存在意義が認められるようになってはきても、与党としての信頼感に欠けるところがあるというのが、今回の足踏みの最大の原因であると思われます。選挙の中で、後房雄名古屋大学教授はさかんに「共産党問題」を提起して民主党側の対応を問いましたが、この「共産党問題」とは、同時に共産党自身の問題でもあったわけです。

 共産党は現在、大きな難問に直面しているように見えます。それは、従来のポジションを保持しつつ、野党としての切れ味を磨いていくのか、それとも、政権を展望しつつ政権政党としての信頼獲得への道に踏み出すのかという問題です。結局はこの両者は統一されなければならず、これまでの野党としての実績と信頼を維持しつつ、政権を担いうる政党としての資格をどう認知させていくのかという問題に集約されるでしょう。これが今回生じた壁を突破して新しい地平を切り開くための、共産党にとっての大きな試練であるように思われます。

 来年夏の参院選については、衆院選との同時選挙の可能性が指摘されていますが、森首相の資質や公明党との不協和音などからして、その可能性は小さくないと思われます。したがって、試練に取り組む時間はそう多くはありません。野党共闘によって与党を追いつめる。そして追いつめた後どうするのか。政権戦略の確立と政権政党への脱皮という課題への本格的な取り組みが共産党にも求められている、そんな時代になってきたということでしょうか。


労組離れで再生した社民党


 社民党も、今回の選挙で存亡の危機を脱したように思われます。それだけでなく、新たな政党への脱皮に成功したのかもしれません。今回の選挙での社民党の成績は、小選挙区で4議席、比例区で15議席、合計19議席になりました。前回96年総選挙と比べれば、小選挙区の当選者は4議席で変わりませんが、比例区では4議席増となっています。得票数も、小選挙区で108万票、比例区で205万票も増えました。これは、議案提案権が得られる21議席以上という当初の目標からすれば不十分なものですが、消滅の危機を脱して党の再生を印象づけたという点では、大きな成果だったと言えるでしょう。

 社民党がこのような前進を実現した最大の要因は、“労働組合から見離された”点にあります。社民党が勢力を弱めて以降、以前社会党を支持していた労働組合の多くは民主党支持に回り、社民党から離れていきました。そのために、これまで労働組合に全面的に依存していた社民党は一人立ちせざるを得なくなりました。独自の組織を作り、女性や市民活動家など独自に候補者を開拓する必要が出てきたわけです。これが社民党にとって幸いした、と私は思います。ようやく政党として自立し、「労働組合政治部」から脱皮することができたわけですから……。

 以前、私は、社会党について、「組織構造や活動のあり方における弱点の克服、とりわけ労働組合との関係の刷新や『共産党排除路線』の見直しが不可欠の課題」であることを指摘しました。それは、「労働組合に強く依存するあまり、ついには政党組織としての根を国民の中に深く下ろすことに失敗した点を重視し」たからです(前掲拙著、202頁)。今回の社民党の再生は、このような指摘を裏づけるものであったと私には思われますが、いかがでしょうか。

 同時に、社民党の前進には、このほかの副次的な要因もあるように思われます。その第一は、「がんこに平和、げんきに福祉」というコピーの成功です。土井党首を前面に出したテレビCMも含めて、今回の社民党には無党派層を意識したパブリシティの巧みさが目立ちました。

 第二は、土井たか子党首の衰えない人気ぶりです。投票直前の20日から23日までの調査によると、「望ましい首相」では土井さんが12%の支持を得てトップでした。現職の森首相を5ポイントも上回っています。前回の衆院選では、土井さんは衆院議長から党に戻って選挙を戦いましたが、その直前まで党首であった村山さんの印象が強く、土井人気が十分社民党の成績に結びつきませんでした。

第三は、村山富市元首相や伊藤茂副党首などベテラン議員の引退です。これは土井さんのリーダーシップを前面に出す点でも、新しい政党への生まれ変わりを印象づける点でも、プラスに作用したと思われます。ベテラン議員の代わりに若手や女性を候補者にしたため、社民党は若者と女性の党として選挙を戦うことができたからです。

 第四は、選挙で訴える政策的争点として憲法問題を浮上させた点も奏功したように思われます。テレビCMでは憲法9条を変えさせないという点を前面に出しましたが、「がんこに平和」というコピーとも相まって、有権者の中に残っていた旧社会党的心情に訴えるものがあったと思われます。しかも、昨年の国会での憲法調査会の設置や周辺事態法の制定もあり、革新無党派層の危機意識にピタッとはまる部分があったのではないでしょうか。

 そして第五に、政権を展望するようになった共産党の柔軟化も、かつて共産党に奪われた革新的支持者を取り戻す上で、社民党に有利に働いたかもしれません。98年参院選比例区と比較すれば、共産党の比例区の得票は148万票減り、社民党の得票は123万票増えました。この数字は、共産党から社民党への移動がかなりの規模で生じた可能性を示唆しています。

 こうして社民党は、選挙の結果、19人が当選し、うち10人が女性という最も女性比率の高い政党になりました。平均年齢も10歳若返りました。史上最年少当選記録を更新して25歳4カ月で当選した原陽子議員は、「いまだに労組依存体質とか言われるけど、ここで、がらっとイメージチェンジを果たさないと」(『東京新聞』7月2日付)と語っています。しかし問題は、「イメージ」だけでなく、党のあり方そのものが「イメージ」通りに変わっていくかどうかという点にあります。今回の選挙で、労組から自立する方向性が出てきたとはいえ、なお、当選者の出身基盤で「社民党は労組の割合が21.2%と最も高かった」わけですから……。社民党が、生き残っただけでなく、再生に向けての道を歩み始めることになるのか。その本領が試されるのはこれからです。


自民合流不可避の保守党


 今度の選挙における最も明確な敗者は、保守党です。改選前に18あった議席の半分以上を失い、7議席になってしまいました。しかもその全ては、小選挙区での議席です。保守党は全国政党として認知されなかったといって良いでしょう。有権者は、今回の選挙に向けて急遽結成された「プレハブ政党」としての保守党の本質を、きちんと見ていたわけです。

 保守党の存在意義は、自由党が連立を離脱して以降も与党の立場にとどまりたいと願う議員たちの受け皿としてにすぎません。したがって、そこにあるのは議員個々人の利害であり、保守党という政党自体にはいかなる主体性もアイデンテイテイも存在していません。比例区で有権者のほとんどが保守党に入れなかったのはそのためです。

 保守党の候補者に小選挙区で投じられた123万票は、比例区でほとんど消えてしまっています。保守党の支持者は、議員個人を支持しても保守党という政党を支持してはいないということになります。比例区でのこれらの票は、たぶん自由党に流れたのでしょう。

 したがって、保守党の余命は幾ばくもありません。扇党首が入閣しましたから、次の内閣改造までは存在するかもしれませんが、2001年から省庁再編で大臣の数が減り、したがって年末での内閣改造は避けられません。恐らく、保守党の存続もここまででしょう。遅くとも、来年夏の参院選までには、保守党は自民党に呑み込まれてしまうものと思われます。

 

V。今回の選挙で明らかになったその他の問題


98年参院選との比較


 第2章で、各党の消長について、一定の評価と分析を行いました。続いて第3章では、今回の選挙を並立制に基づく総選挙という社会実験として捉え、そこで明らかになった諸問題について検討するつもりでした。しかし、各党の消長に関する検討という点では、前回総選挙との比較という視点だけでなく、2年前に行われた98年参院選との比較も必要ではないかと思われます。

 前回の総選挙は4年前であり、参院選はちょうど今回の総選挙との中間にあたります。また、参院選にも衆院選にも共に比例区があり、制度的に比較が可能です。さらに、流動著しかった政党も前回の参院選後には比較的落ち着きを取り戻し、自由党の分裂はあったもののほとんど変わっておりません。

 というわけで、補足的に、前回参院選における各党の成績と今回総選挙の成績とを比較してみたいと思います。比較するのは、二つの選挙で候補者を出した、自民党、民主党、公明党、自由党(保守党を含む)、共産党、社民党の各党で、比較の対象は比例代表選挙での得票数と相対得票率です。

 ただし、ここで注意が必要なのは、この二つの選挙での投票率の違い、投票総数の変化です。投票率では98年参院選が58.8%、今回衆院選が62.5%と、今回の方が3.7ポイント高くなっています。投票総数も98年参院選が5614万票で今回は5984万票と、370万票多くなっています。このような条件の違いの下で生じた、各党の得票の増減であるということに留意して下さい。

第3表 98年参院選比例区との比較


今回の得票数参院選得票数得票数の増減今回の得票率参院選得票率得票率の増減
自民党1694万票1413万票281万票28.3%25.2%3.1
民主党1507万票1221万票286万票25.2%21.8%3.4
公明党776万票775万票1万票13.0%13.8%−0.8
自由党684万票521万票163万票11.4%9.3%2.1
共産党672万票820万票−148万票11.2%14.6%−3.4
社民党560万票437万票123万票9.4%7.8%1.6
その他91万票428万票−337万票1.5%7.6%−6.1
合計5984万票5614万票370万票100%100%0

 

 第3表は、この二つの選挙での各党の得票数と得票率を比較したものです。一見して分かることは、得票数を減らした政党が一つしかないということです。それは共産党で、148万票の減少となっています。総投票数が370万票増えたなかで唯一共産党だけが得票数を減らしているという点に、今回の選挙での共産党の後退の大きさが明瞭に示されています。それに伴って、得票率も3.4ポイントの減少になっています。

 もう一つ目に付くのは、公明党です。98年参院選と今回衆院選とにおける公明党の得票数にはほとんど変化がありません。わずか1万票の増です。得票率は、逆に0.8ポイントの減になっています。このような公明党における票の動きは、一つには、その支持基盤の固さを示しています。選挙の種類や全体の投票率が変わっても投票する人数にはほとんど変化が無いというわけですから、岩盤のような層の存在をうかがわせます。もう一つは、自民党との選挙協力が全く効果を現していないということを示しています。小選挙区とは違って比例代表ですから、自民党支持者は公明党に入れずに自民党に入れたのかもしれませんが、しかし、自民党の比例区での得票は小選挙区より800万票も少なくなっています。つまり、比例区で自民党から逃げ出した票は、公明党には全く流れ込んでいなかったということになります。

 これら二つの政党以外の政党は、いずれも得票数を増やしています。一番増やしたのは民主党で286万票、次いで自民党が281万票、自由党が163万票(保守党の25万票を含む)、社民党が123万票となっています。得票率の増加もこの順番です。これを見ても、民主党が前回の参院選に続いて大きく得票を増やし、「2連勝」したことが分かります。しかしそれは、自民党にほぼ匹敵する水準に過ぎず、ここでも「大躍進」とまでは言えない、中途半端な勝利であったことが分かります。

 自民党は98年参院選よりも281万票増やし、得票率も3.1ポイント高めました。しかしそれでも、小選挙区での得票数より800万票も少ないわけですから、逆に言えば、いかに自民党が小選挙区で多く得票しているかということになります。このような増加分があり、大敗北した参院選から多少回復したため、自民党は「地滑り的大敗北」を免れ、したがって橋本元首相とは異なって森首相の首がつながったわけです。

今回の総選挙で前進した自由党と社民党は、98年参院選との比較でも、その前進ぶりは明らかです。自由党は、保守党の分も含めて163万票も増やしており、社民党は123万票を増やしました。得票率もそれぞれ、1.7ポイント、1.6ポイントの増加です。98年参院選では、自由党は健闘、社民党は苦戦と明暗を分けていましたが、今回はともにかなりの前進を果たしたと言えるでしょう。特に、党名変更以来、各種の選挙で後退を続けてきた社民党にとっては初めての増加であり、今回総選挙での前進の意味は極めて大きいと言えるのではないでしょうか。


再度明らかになった制度の問題点


 私は、前掲の拙著『徹底検証 政治改革神話』の中で、「第二章 『小選挙区制の害悪』の検証」を設け、76頁以降で、@民意がゆがむ、A大量に死票が出る、B逆転現象が起こる、C少数政党が排除される、D投票率が低下する、と5点にわたって小選挙区制の問題点を検証しました。この中には、すでに何度も言及した点もありますが、ここで改めて問題点をまとめて検証することにしましょう。

 第一に、民意がゆがむという点です。この点に関して、私は「有権者の選択と議席に大きなズレが出ること、少数の支持を多数に増幅する機能を持つこと」を指摘しましたが(拙著『一目でわかる小選挙区比例代表並立制』57頁、59頁、『徹底検証 政治改革神話』76頁)、今回もこのような問題点が裏づけられました。相対得票率と議席率のズレという点では、自民党が41.0%の得票率で59.0%の議席を得たこと、共産党が12.1%の得票を得ながらも議席ではゼロになったのが象徴的です。自民党の場合には、過半数を与えなかった民意がゆがめられて6割近い議席となり、共産党の場合には1割以上もあった支持がゆがめられ、全く無視される結果となっています。このようなゆがみは制度的に必ず生ずるものであり、その結果として、投票によって示される「直接的民意」と、それをゆがめた上で議席によって示される「間接的民意」とが生まれることになります。

 この両者が同じものであれば、「民意はどれか」などという問題は生じないのですが、ゆがめられる前とゆがめられた後とでは、民意のあり方がかなり異なってしまうために、「民意はどれか」という問題が生じます。今回の選挙の結果を判断する際の混乱は、「虚構の民意」である「間接的民意」によって選挙結果を論じたために生じたものです。「実際の民意」である「直接的民意」によって選挙結果を見れば、有権者が何を望んでいたかは火を見るよりも明らかです。

 また、自民党の場合のゆがみは「少数の支持を多数に増幅する」例として際立っており、4割台の得票で6割台の議席を得るという魔法のような結果になっています。しかも、このような「増幅」が過半数ラインを越えて生じているという点も無視できません。議会政治においては、過半数を越えるかどうかは質的な意味を持っていますが、それが制度のカラクリによって生ずるというのは、この制度の本質的な欠陥を物語っています。結果的に、過半数を与えないという有権者の意思が完全に踏みにじられているからです。

 そもそも代議制という制度は、有権者に代わって議員が法律などについての問題を議するという制度です。そこで何よりも重要なことは有権者、すなわち主権者の意思が正当に代表されるということでしょう。「過半数以下の得票」が「過半数以上の議席」に変換されてしまうよう仕組みで選ばれたものが、どうして「正当な代表」だと言えるのでしょうか。

 第二に、大量に死票が出るという問題です。今回も、約3153万票の死票が出ました。総投票数の半分以上で、死票率は51.8%に上りました。政党別では、民主党に投じられた937万票が無駄になり、死票率は55.7%になります。共産党の場合、735万票が死に、死票率は何と100%になりました。このような高い死票率を出す制度をこのまま続けて良いのでしょうか。

 続けて良いという人は、これらの無駄に投じられた有権者の意思は無視して良いという立場に立っていることになります。総投票数の半数以上の有権者の意思を無視して良いというわけです。このような立場の人を、民主主義者と呼べるのでしょうか。選挙で表明された有権者の半数の意思を無視して、それでも代議制度だと言えるのでしょうか。半数以上の有権者の意思が意味を持たない選挙が、果たして正当な選挙だと言えるのでしょうか。

 また、死票の存在をやむを得ないと考える人は、死票になるのは当選できない人に投票するからだ、それが嫌なら当選可能性のある候補者に投ずるべきだと考える人でもあります。当選する可能性のほとんどない候補者に投ずる有権者は、自ら進んで死に赴いているというわけです。

 このような考え方は、投票の自由を踏みにじるものです。投票の自由を認めない人を、民主主義者と呼べるのでしょうか。選挙において、当選できるかどうかという要素を加えて判断せよと言うのは、支持するかどうかという判断基準だけで投票してはならないと言っていることと同じです。早く言えば、当選できないような候補者に投票する愚を犯してはならないというわけです。支持するかしないかではなく、当選するかしないかをも加味した「戦略的投票」をすべきだとするこのような議論は、結局、有権者個人の自由な投票を大きく阻害することになるでしょう。

 それだけではありません。小選挙区に立候補する候補者の立候補の自由を結果的に阻害することにもなります。当選の可能性がなければ立候補してはならないと言うに等しいからです。当選の可能性があろうとなかろうと、その意思があれば誰でも立候補できるはずです。しかし、当選の見込みのない候補者には投票するなということになれば、そのような見込みのない候補者は初めから立候補を断念するでしょう。

 こうして、弱小の候補者は次第に淘汰され、当選を争うことのできる2人の候補者に絞られることになります。投票するべき候補者を見いだせず、支持してもいない候補者への「戦略的投票」を潔しとしない有権者は、投票を断念することになるでしょう。候補者の数も減り、投票する人の数も減る。これが小選挙区制において、将来最もありそうなシナリオです。

 最後に、死票は選挙に付き物だと考えておられる方のために、死票の出ない選挙制度もあるということを、念のために強調しておきましょう。比例代表制なら、基本的に死票は出ません。全ての投票が生かされます。「基本的に」というのは、選挙区を狭く、定数を少なくすれば、比例代表制でもいくらかの死票は出るからです。現に、全国を11に分け、定数を20削減したために、今回の比例区でも議席につながらない得票(死票)が出ました。しかし、それは小選挙区制に比べれば極めて少なく、なくすためには、定数を増やすか、選挙区を拡げればよいということになります。

 第三に、逆転現象が起こるという点ですが、これについてはすでに第1章で詳細に述べました。今回も与野党間で、得票率と議席率の逆転が、明瞭な形で起きています。

 小選挙区での与党の得票率は45.3%で、野党の得票率は46.9%です。与党よりも野党の方が1.6ポイント多いということに注目して下さい。「直接的民意」、すなわち「実際の民意」は、与党よりも野党の方に多数を与えていたわけです。

 しかし、小選挙区の議席率では、与党は63.7%、野党は29.3%になっています。野党よりも与党の方が34.4ポイントも、つまり野党の2倍以上も多くなっていることに注目せざるを得ません。「間接的民意」、すなわち「虚構の民意」は、野党よりも与党に2倍以上の議席を与えたわけです。

 このように、得票率で野党より少なかった与党は、議席率で野党より2倍以上も多くなっています。1.6ポイント下回っていたはずが、いつの間にか34.4ポイントも上回ってしまう。これを「逆転」と言わずして何と言いましょうか。インチキにも色々ありますが、こんなにひどいインチキはそうざらにあるものではありません。しかも、主権者たる有権者の民意を問う総選挙でのインチキですから、その罪、万死に値すると言えるでしょう。

 少数を多数に、多数を少数に変換してしまうこのようなインチキを内在させている選挙制度は、民意に基づく政治、すなわち民主政治における政治制度として正統性をもち得るでしょうか。このような制度を擁護する人は、「実際の民意」を無視しても、それがゆがめられても良いと言っていることになります。このような人を、民主主義者と呼べるのでしょうか。

 第四に、小政党が排除されるという問題があります。公明党の神崎代表が「小選挙区制が小政党にこんなに厳しい制度だとは思わなかった」と述べたことは、先にも紹介しましたが、今度の選挙でも、この厳しさは極めて明瞭に示されたと言えるでしょう。

 各政党の小選挙区での獲得議席数は、自民党が177、民主党が80、公明党と保守党が7、自由党と社民党が4、共産党ゼロ、その他21となっています。ここには、はっきりとした2つのグループがあります。小選挙区で二桁獲得できる政党とできない政党の2つです。両者の境界線は、民主党と公明党の間に引かれています。

 このような違いは、公明党以下の小政党が、事実上、小選挙区から排除されたために生じたものです。これらの政党が小選挙区で議席を得るのは極めて困難であり、これは今後も変わらないでしょう。こうして、先にも述べたように、小政党の淘汰が進むことになります。

 今回の結果は、小選挙区での排除を免れた2つの大政党が自民党と民主党であることを示しています。両者をあわせた議席率は、85.7%にも上ります。四捨五入すれば9割にもなる議席を2つの政党で占めたわけですから、小選挙区に限って言えば「二大政党制」的な方向性が強まり、「疑似二大政党制」が、今回の選挙によって生じたと言えるでしょう。「小選挙区制の趣旨」は、決して理解されていなかったわけではないということになります。

 しかし、このように制度の強制によって小政党を淘汰し、むりやり二つの政党に整理してしまうというやり方が、はたして正当、かつ民主的なのでしょうか。その規模が小さいからといって、小政党には存在する理由も価値もないと言えるのでしょうか。それなりに存在理由もあり、また有権者の利害も代表している政党を、規模が小さいからといってその「生存の権利」を奪ってしまって良いのでしょうか。この問題については、「二大政党制」について検討する後の節で、改めて取り上げたいと思います。

 第五の、投票率が低下するという問題についても、節を改めて論ずることにしたいと思います。今回で選挙の投票率は低下はしませんでしたが、その回復は予想されたよりも少なく、ほとんど投票時間の延長分くらいの伸びにとどまりました。その結果、最低記録は更新しませんでしたが、しかし、前回に続けて2番目に低い記録になっています。ここにも、小選挙区制の悪しき影響がうかがわれると、私は考えていますが、くわしくは次の節を参照して下さい。

 このほか、今回明らかになった点として、現職の再選率の高さという問題があります。これについても、私は、拙著『一目でわかる小選挙区比例代表並立制』の中で、次のように言及したことがあります。

 「小選挙区制では、新たな政党の参入は非常に困難になり、既存の大政党に固定されるようになります。現にイギリスでは、……7割以上が保守党か労働党のいずれかに、議席が固定化する傾向がありました。……また、政党の固定化は候補者の固定化を促進する可能性があります。……各政党は当選をより確実にするために現職の候補者を優先的に公認するからです。」(前掲拙著、75〜76頁)

 現職が優先的に候補者となり、再選されて議席が固定化する傾向が出てくる。これが私の予測でしたが、どうなったでしょうか。解散時に小選挙区に議席を持ち、今回も同じ選挙区に立候補した現職議員は、与野党あわせて265人いました。このうち、当選したのが197人、落選が68人です(『朝日新聞』6月26日付)。その当選率は74.3%になりますから、かなり高率だと言えるでしょう。

 小選挙区300の中で、現職が再選されたのも197選挙区ですから、選挙区における現職再選率、いわば固定率は65.7%ということになります。イギリスほどではなくても、やはり現職の再選率が高いということ、選挙区の候補者の固定化が始まりつつあるということが言えるように思われます。世襲議員の増大とあわせて、このような現職の再選率の高さや選挙区での議席の固定化は、日本社会の流動性の低下という最近の風潮をさらに強めることになり、大きな問題であると言えるでしょう。


ほとんど回復しなかった投票率


 今回の選挙で注目されたものの一つに、投票率の問題があります。前回の投票率は小選挙区で59.65%、比例区で59.62%でした。これは今回それぞれ、小選挙区で62.49%、比例区で62.45%にまでアップしました。それぞれ、2.84ポイント、2.83ポイントの上昇です。史上最低を更新することは避けられましたが、これまでの衆院選での投票率の中では、2番目に低い投票率であり、画期的に改善されたと言うわけにはいきません。

 しかも、前回に比べてのこの投票率の上昇は、投票時間を2時間延長したことによって、かろうじて可能になりました。自治省推計による午後6時時点での投票率は48.95%で、これ以前に投じられた不在者投票の投票率を5.5%として加えても、54.45%にしかなりません。この時点では明らかに前回を下回っていたわけです。

 このような投票率の低さには、さまざまな原因が考えられます。私は、拙著『徹底検証 政治改革神話』で、史上最低となった前回の投票率を取り上げ、「@政党や政治家が信頼できず、政治そのものへの興味と関心が低下している、A政策や争点が良くわからず選ぶに選べない、B投票によって当選者が変わり、政治のあり方も変化するという有効性感覚が実感できない、などの要因」(27頁)を挙げました。これらの要因は、今回の選挙にも当てはまるように思われます。

 また、これらの要因が生じた原因として、「第一に、この間の連立政治のあり方が、政党と政治家への信頼を失わせ、政治不信を高めた」「第二に、公選法の規定や選挙活動のあり方が、政策や争点の浸透を阻害している」「第三に、小選挙区比例代表並立制という新選挙制度が、有権者を戸惑わせた」(同前、28頁)という、三点を指摘しました。第一と第二の原因については、その後も大きな改善が見られません。

 それどころか、前の選挙では自民党を厳しく批判していた公明党が連立に加わり、創価学会の政治への関与に反対していた自民党候補者が公明党の支援を受けるなど、「政党と政治家への信頼を失わせ、政治不信を高め」るような事例に事欠きません。また、政党発行の雑誌や新聞の宣伝活動が選挙中に禁止され、ポスター掲示の制約も強まるなど、「政策や争点の浸透を阻害」するような新たな規制も導入されました。これらは、有権者を投票所に引き寄せるというよりは、追い立てているとしか言いようのないものです。

 ところで、先に私が指摘した第三の原因「小選挙区比例代表並立制という新選挙制度が、有権者を戸惑わせた」という点については、どうでしょうか。今回で並立制は二回目になりますから、「新選挙制度が、有権者を戸惑わせた」ということは、もうないでしょう。しかし、それに代わって、「この選挙制度の問題点が明らかになり、有権者が投票の意欲を失った」という新たな原因が生じているように思われます。

 比例代表制では、このような問題は生じません。問題は小選挙区制です。小選挙区では、当選を争える政党の候補者は限られ、しかも支持する政党の候補者が立候補していない場合も多くあります。「戦略的投票」のように、支持していなくても、もっと嫌いな候補者を落とすためにやむを得ず「次善の候補者」に投票することも強いられます。しかも、落選してしまえば投じられた票は無駄になり、「死票」となります。このような「死票」は、前回では投票総数の54.6%、今回は51.8%も出ました。投じられた票の半分以上が、「死んで」しまったわけです。

 そうなりますと、投票する相手がいない、支持してもいない候補者には投票したくない、投票しても当選しない、投票しても無駄だということになり、投票意欲が削がれてしまいます。私は、前掲の拙著で、「並立制が有権者をけちらした」(同前、31頁)と書きましたが、このような面は今回の選挙でも少なからずあったように思われます。現に、自民党の候補者が圧倒的に強く、当落が事前に予測できる「保守地盤で低下目立つ」(『毎日新聞』6月26日付)とのことです。

 投票意欲を高めるためには、政治が民意への応答性を高め、政党や候補者が魅力あるものになっていくことも大切ですが、有権者が投票しやすく、その投票が議会の構成などに有効に結びつかなければなりません。投票率の高低も、政治のあり方や選挙運動の実際、選挙制度などと密接に結びついていることを忘れてはならないでしょう。


「二大政党制」をどう考えるか


 現行の小選挙区比例代表並立制が導入された時、その「謳い文句」になったのは、「二大政党による政権交代を可能にするため」というものでした。その後の政治の動きと選挙の実際は、このような「謳い文句」の正しさを実証したでしょうか。「二大政党制の神話」を検証するためには、いくつかの側面に分けて考えてみる必要があります。

 第一には、「二大政党制」そのものが、今日の政党制度として望ましいものであるかどうかという点です。これについては、望ましくないという結論が出ているのではないでしょうか。

 そもそも「二大政党制」と呼ばれるような政党制が存在しているのは、イギリスとアメリカであり、その他は多党制です。「二大政党制」は例外的なものであるということが、ここから明らかになります。最近では、イギリスでもアメリカでもこれに対する批判が強まっており、第三党運動が展開されています。

 また、今日のような多様化・複雑化した社会において、多様で複雑な利害を代表する政党が二つしかないという状況は大きな問題を生む可能性があります。政治的代表に社会的利害関係が正しく反映されず、マイノリティの利害がスポイルされてしまう危険性が増大するからです。アメリカでは「多数派の専制」が問題となっています(ラニ・グイニア〔志田なや子監修・森田成也訳〕『多数派の専制』新評論、1997年、参照)が、「二大政党制」はこのような状況を弱めるのではなく、強めることになるでしょう。

 第二に、「二大政党制」が望ましいという根拠の一つに、「政治の安定」という問題がありました。多党制にもとづく連立政権では政治が不安定になるというのです。これも誤りだったことが実証されたといって良いでしょう。

 93年の細川政権樹立以降、橋本政権の最後と小渕政権の最初の一時期を除いて、この間の政権は基本的に連立政権でした。この間、連立であるが故に、政治が不安定だったと言えるでしょうか。確かに、羽田政権などは不安定でしたが、それは少数与党のためであって連立だったからではありません。逆に連立であっても、自自連立後の小渕政権は極めて安定し、新ガイドライン関連法や盗聴法など国民や野党が反対する「問題法案」を次々に通過させてしまったではありませんか。このどこに、政治の不安定があったというのでしょうか。連立政権になれば政治が不安定になるというのは、まだ連立が一般的でなかったときの「威し文句」にすぎませんでした。93年以降の「連立時代」を経験した今となっては、何の根拠もない「神話」にすぎなくなったと言えるでしょう。

 第三に、「二大政党制」になれば、政権交代が容易になるという議論もありました。まだ「二大政党制」になっていませんので、これが正しいかどうかは検証できません。しかし、小選挙区制になれば政権が交代しやすくなるという「神話」は、すでに述べましたように、今回の選挙で木っ端微塵に打ち砕かれました。

 小選挙区制が与党と野党のいずれかを選ぶかの判断を有権者に迫るものだとすれば、小選挙区での与党の得票率45.8%、野党の得票率46.9%ですから、有権者は明らかに野党の方に軍配を上げていたということになります。しかし、実際の議席では、与党の議席率63.7%、野党の議席率29.3%となって、与野党が逆転しています。これが「逆転現象」と私が呼んでいるもので、これは今回の選挙でも明瞭に現れていました。野党優位を選択した有権者の判断が、小選挙区であるが故に正しく議席に反映されず、反対になってしまったことは明らかです。

 他方、比例区での得票率は、これもすでに指摘しましたように、与党41.7%、野党56.8%となっています。有権者は野党に軍配を上げただけでなく、過半数以上の得票を与えました。これは議席率にも反映しており、与党は44.4%、野党は55.6%と、野党の議席は過半数を超えています。与党と野党のいずれかを選ぶかの判断において、比例区では野党が選ばれていることは明らかです。それにもかかわらず政権交代が実現しなかったのは、小選挙区があったためです。小選挙区制が政権交代を容易にするという「神話」も、真っ赤な嘘でした。

 第四に、たとえ「二大政党制」が正しいとしても、それに向けてむりやり有権者の投票を誘導するようなやり方が正しいかどうかという問題は別に検討されなければなりません。有権者の自由な選択の結果として、他の小政党が支持を失い、二つの大政党だけが生き残っていくというのであれば、別に問題はありません。代表されるべき有権者の利害も、大きく二分されているということになるからです。

 しかし、今回の選挙における「戦略的投票」のような投票態度が一般化するとなれば、それは大きな問題を生むことになります。「戦略的投票」というのは、本来の支持政党の候補者が別にありながら、嫌いな政党の候補者を落とすために対抗できる候補者に投票するということです。その結果、本来の支持政党の候補者が姿を消し、次第に小選挙区で争うことのできる二大政党に整理されていくということになります。

 ここでの問題の一つは、実質的に有権者の投票の自由が奪われるということです。有権者の投票は、自由な選択の結果としてではなく「次善の策」として行われます。「最悪」の候補者を落選させるために、「最善」の候補者ではなく、「より小さな悪」の候補者への投票を迫られるわけです。このような投票は、自由な選択だとは言えません。「嫌いだけれど仕方がない」ということで行う投票は、自由投票であるとは言えないでしょう。

 もう一つの問題は、このような投票の結果、別の政党を「最善」だと思っている有権者にとって「最悪」の政党は力を弱め、「より小さな悪」の政党は力を強めるかもしれません。しかしその結果、本来自分が支持している「最善」であると思っている政党は、姿を消していきます。こうして、客観的には、支持政党の消滅に手を貸すことになってしまうわけです。その結果、この有権者にとっては「より大きな悪」か「より小さな悪」かを選ばざるを得ないということになります。そうなれば、嫌気がさして選挙から手を引くことになるでしょう。

 このようにしてむりやり整理された二大政党は、本来の支持者ではないがやむを得ず支持した有権者の支持を背景にすることになります。つまり、本来社会に存在している多様で複雑な利害関係が、どちらか一方の政党に流れ込んでくるということになります。しかし、その多様性の全てを政党の方針に生かすことは不可能です。結局は、多数利害が代表され、少数利害は無視されるということならざるを得ません。「二大政党」のそれぞれの政党内部においても、「多数派の専制」が生ずることになります。独自の利害がありながらその政治的代表を見いだせない人々は、政治の場面から撤退していくことになるでしょう。こうして、政治に対する絶望と不信だけが残るということになります。

 結局、「二大政党制の神話」には、いかなる根拠も見いだすことはできません。いまだにこのような政党制が望ましいかのようなことをいう人は、以上の点について十分に考えていただきたいものです。


またしてもはずれた事前予測


 前回の参院選に続いて、今回もまた、投票率がかなり高くなるという予想や新聞各紙の獲得議席についての事前予測は大きくはずれました。例えば、『朝日新聞』では、事前の推計の範囲内に入っていたのは公明党と共産党だけで、後は全てはずれています。民主党は最大推計124を3議席、自由党は21を1議席、社民党は17を2議席上回りました。逆に自民党は最小推計244を11議席も下回り、保守党も8を1議席下回りました。また『毎日新聞』では、事前予測の範囲に入っていたのは自由党だけで、自民党は予測を18議席下回り、民主党は予測を13議席上回るなど、全てはずれています。このような推計と実際との差は、自民順調・民主苦戦の予測が、実際には自民敗北・民主躍進となったためです。

 ここには、二つの問題があるように思われます。一つは、事前予測を見て投票態度を変える「アナウンスメント効果」の問題であり、もう一つは、調査の精度の問題です。

 今回も、事前予測の数字を見て投票態度を変えた人、あるいは決めた人はかなりいたと思われます。とりわけ、この数字を見て森首相が「寝てくれればいい」発言を行ったため、無党派層の反発を買い、事前予測の「アナウンスメント効果」を増幅することになったと思われます。自民党圧勝の予測を覆した隠れた「功労者」は、森首相であったということになるでしょう。

 もう一つの問題である調査の精度という点では、「電話調査」の持つ落とし穴を指摘しなければなりません。投票予定や事前予測に関する調査の多くは、無作為で抽出した電話によってなされますが、しかし、この抽出の対象は電話帳に記載されたものに限られます。そうすると、電話帳に記載されていない人は対象にならず、調査対象になっても、不在で電話に出られない人のデータは集められません。

 したがって、電話による調査には、携帯電話の所有者などの除外、在宅する機会の少ない人の除外という「二重のバイアス」がかかる可能性があります。携帯電話やPHSを所有している人も、不在で電話に出られない人も都市の住人や若者に多いわけですから、結局、事前調査の対象としてこれらの人が事実上除外されていたということになります。したがって、今回のように、都市の住民や比較的若い世代によって生み出された自民敗北・民主躍進という現象が、事前調査によって把握されなかったのは当然だと言えるでしょう。また、投票予定の人の率が高く出てくるのも、同様の「バイアス」によると考えられます。そうだとすれば、投票率や各党の獲得議席についての事前調査の不正確さは、電話調査という方法自体が持っている限界によるものだということになります。

 付け加えてもう一つ、出口調査にも一定の限界があるということを指摘しておきたいと思います。その制約というのは、不在者投票を行った人の投票態度は反映されていないということであり、今回のように都市と農村の違いが顕著な場合には、調査の地域的な偏りはデータの偏りをもたらしやすいということです。調査地点は、全国まんべんなくということで実施され、全体の傾向が出るように工夫されているとは思いますが、しかし、それでもこのような制約を完全に取り除くことは難しいでしょう。出口調査も、一つの参考資料にすぎません。過信するのは危険だということです。


パブリシティの問題


 時代や社会の変化に対応した選挙運動のあり方という点で、今回特に注目されるのはパブリシティ(宣伝)の問題であるように思われます。商品の売り込みにとってパブリシティがいかに大切であるかは多くの説明を要しませんが、選挙における政党や候補者の売り込みにおいても、同様にパブリシティが大切です。もちろん、商品そのもの質の良さなども重要であり、政党や候補者の質もまた問われなければなりませんが、時には、宣伝だけでブームになるような場合もあります。選挙も例外ではありません。

 政党や候補者の売り込みという点では、従来では文書や音声による街頭宣伝が一般的でした。しかし、この面では、組織力と活動力のある共産党対策を主たる動機として次第に制約が強められ、その効果が減少してきています。

 これに代わって登場してきたのが、テレビでの政見放送や政党CMです。今回の選挙では、特にこの面での重要性が高まったように感じられますが、いかがでしょうか。なかでも印象的だったのが、自由党と社民党のテレビCMです。新聞などでも、「イメージ戦略が奏功」(『読売新聞』6月26日付夕刊)、「頑固者のイメージで注目された自由、社民両党、ともに党首の個性を前面に押し出したテレビのスポット公告があたった」(『朝日新聞』7月1日付)などと評価されています。

 このテレビCMの影響が各党の消長にどの程度影響したかは今後の研究課題でしょうが、私の印象では比例区での得票にかなりの影響を与えたように思われます。今回、テレビCMで注目された自由党と民主党は比例区の得票を伸ばし、テレビCMを放映しなかった共産党は、比例区での票を伸ばしきれなかったからです。

 同時に、これらのCMで党首を前面に出したという点も注目されます。それぞれの政党の特徴を党首の個性として人格化し、党首を売り込むことによって政党への支持を獲得するという新しい戦術の誕生だといって良いでしょう。この点でも、小沢党首を前面に押し出した自由党、土井党首の個性を売り込んだ社民党は、かなりの成功を収めたようです。

 ある調査によると、「最も視聴者が好感したのが自由党のもので、以下、社民、民主、自民、公明と続く」(『東京新聞』7月5日付)そうです。この記事は、「上位3党が党首を前面に出しているのに対し、下位2党は党首が登場しないのが特徴」であり、「このうち自由、社民、民主は議席数を伸ばし、下位だった自民、公明と、CMを制作しなかった共産、保守は議席を減らしている」と指摘しています。また、『日経新聞』の調査でも、「各党が先の衆院選向けに作ったCMのうち一番印象に残っているのは自由党と答えた人が29.3%にのぼり、自民党の10.0%や民主党の8.2%に“圧勝”していた」(『日経新聞』7月12日付)そうです。これらの調査は、特に比例区での投票と政党CMとの関連を示唆しています。

 今回明らかになったこのような傾向は、今後の選挙活動のあり方を考える上で大きな教訓を示しているのではないでしょうか。ポスター、文書やマイクによる宣伝から、テレビなど電子的な伝達手段による宣伝へという流れは、IT革命によって今後も強まっていくように思われます。


むすび―選挙制度の再改革は急務


 以上に見たように、今回の総選挙では、小選挙区比例代表並立制という選挙制度の持っている問題点が、余すところなく明らかになったと言えるでしょう。特に、投票によって直接示される「実際の民意」が、与党よりも野党に多くの支持を与えていたにもかかわらず、小選挙区制という制度を介在させた「虚構の民意」が与党に「絶対安定多数」を与えたために、本来ならあるはずの政権交代が阻止されてしまったという事実は重要でしょう。これほどの「民意」の曲解は、代議制度を支える民主的な制度としてはあってはならないことだからです。

 したがって、このような選挙制度は、一日も早く改革するべきです。現行選挙制度の再改革は急務だと申せましょう。ただし、ここで改革されるべきは、小選挙区制であって、比例代表制ではありません。また、せっかく導入された比例代表制をやめることも賛成できません。

 選挙が終わってから、自民党の野中幹事長や社民党の渕上幹事長、公明党などから、中選挙区制の一部導入論や復活論が出ています。野中幹事長の一部導入論は、自民党の弱かった都市部の選挙区を複数議席にして自民党の議席を得やすくするというものですから、党略的目論見に基づくものです。このような改革論には基本的に賛成できませんが、しかし、全て一人である現行選挙制度より多少の改善にはなるでしょう。

渕上幹事長や公明党の中選挙区制復活論は、定数3の中選挙区を基本に選挙区割りをし直すというものです。しかし、この場合にも、区割りをどうするのか、人口移動や出生率の違いなどによって生じざるを得ない定数の不均衡をどう調整するのかという問題は残ります。せっかく改革するなら、このような面倒な問題が起きないやり方を考えるべきでしょう。

 もちろん、民主党の鳩山代表が主張するような完全小選挙区制は問題になりません。そうなれば、今回の選挙で明らかになった小選挙区制の害悪は、全面的に開花することになるでしょう。今回の選挙でも、もし比例代表制がなく小選挙区制だけだったなら、59.0%の議席率だった自民党は283議席に、26.7%の議席率だった民主党は128議席になっていたはずです。民主党の議席はほとんど変わりませんが、自民党は現状より50議席も増え、単独で「絶対安定多数」を越えることができたでしょう。

 同時に、小選挙区制だけだったら、公明党と保守党は11議席、自由党と社民党は6議席、共産党はゼロとなります。今回の結果と比べても、いかに「民意」がゆがめられるか、明白ではないでしょうか。このような選挙制度を検討の対象にするというだけでも、選挙制度に対する無知、民意に対する無感覚を証明するものだと言わざるを得ません。

 したがって、選挙制度の再改革の方向は、比例代表制度を中心としたものにするべきです。比例代表制にすれば、確かに一党で過半数を占めることは難しくなります。しかし、日本はもはや連立時代に入っており、今日においても多党連立状況は普通の姿になっています。単独政権ができにくくなっても何の問題もありません。連立政権では政権基盤が不安定になり、政治が安定しないと言うのは、単なる「威し文句」にすぎませんでした。

 具体的には、現行の小選挙区制を廃止し、その分の定数を現行11ブロックの比例代表制に振り分けるというやり方が最も簡単であり、民主的なものとなるでしょう。面倒な区割りなどを考える必要もなく、定数の不均衡という問題も生じません。ここにはいかなるカラクリも存在せず、投じられた票の全ては、各政党の議席の数に反映されます。

 これに加えて、現行の制度とは異なるもう一つの改革を導入できれば、もっと良い選挙制度になります。それは、比例代表の候補者をあらかじめ順位を決めた拘束名簿式ではなく、順位を決めない非拘束名簿式とし、有権者の投票は政党名ではなく候補者名で行うというものです。投票方法も、将来的には電子投票をめざし、差し当たりは印刷された用紙に印を付ける記号式に変えるべきでしょう。

 各政党の獲得議席は、所属する候補者の得票を集計して決定し、各政党の候補者の当選順位はそれぞれの候補者の得票数によって決まります。こうすれば、有権者は政党を選ぶだけでなく、その中で当選させたい候補者や落選させたい候補者も選ぶことができます。政党内部での候補者の選択と淘汰が可能になり、ある政党が汚職議員を候補者に選んでも落とすことができるようになります。

 このようにして、有権者の投票がそのまま議席や当落に反映されれば、政党や政治家の政治に対する緊張感が増し、その行動ももっとましなものになるでしょう。有権者の一票が尊重されれば、投票に対する有効性感覚も増し、投票率も向上するでしょう。「民意はどちらか」などと頭を悩ますこともなくなるでしょう。

 ということで、選挙制度の再改革案として、全国11ブロックの比例代表制を提案いたします。今の所、これが最善であると考えていますが、中選挙区制や小選挙区比例代表併用制も、現行の選挙制度よりはましですから、検討対象にはなると思います。「国民主権」が制度的に保障され、民意がそのまま議会に反映される仕組みをどう作っていくのか、知恵を出し合い、工夫し合うことが求められています。

 有権者の一票が尊重される制度こそが理想的な選挙制度であるということを忘れずに、一歩でも二歩でも理想に近づいていきたいものです。

 

U。各党はどのような成績を残したのか

 以上に見たような選挙全体に対する評価を前提にして、各政党の消長をどう評価するか、その背景や原因をどう見るか、という点について、検討することにしましょう。今回の総選挙での各党の結果は、表2のようになっています。

第2表 総選挙での各党の成績


総議席議席率議席数議席率得票数相対得票率絶対得票率
自民党233議席48.5%56議席
177議席
31.1%
59.0%
1694万票
2495万票
28.3%
41.0%
16.9%
24.8%
民主党127議席26.5%47議席
80議席
26.1%
26.7%
1507万票
1681万票
25.2%
27.6%
15.0%
16.7%
公明党31議席6.5%24議席
7議席
13.3%
2.3%
776万票
123万票
13.0%
2.0%
7.7%
1.2%
自由党22議席4.6%18議席
4議席
10.0%
1.3%
659万票
205万票
11.0%
3.4%
6.6%
2.0%
共産党20議席4.2%20議席
0
11.1%
0%
672万票
735万票
11.2%
12.1%
6.7%
7.3%
社民党19議席4.0%15議席
4議席
8.3%
1.3%
560万票
232万票
9.4%
3.8%
5.6%
2.3%
保守党7議席1.5%0
7議席
0%
2.3%
25万票
123万票
0.4%
2.0%
0.2%
1.2%
改革クラブ0 議席0%-
0
-
0%
-
20万票
-
0.3%
-
0/2%
その他21議席4.4%0
21議席
0
7.0%
91万票
474万票
1.5%
7.8%
0.9%
4.7%
合計480議席100%180議席
300議席
100%
100%
5984万票
6088万票
100%
100%
59.6%
60.6%

*上段は比例代表区、下段は小選挙区。




制度のカラクリに助けられた自民党


 今回の総選挙での自民党の当選者は、小選挙区で177人、比例区で56人、合計で233人でした。改選前議席は271でしたから、38議席を失ったことになります。この減少数は、過去最大の数になります。つまり、自民党は結党以来最も大きな敗北をこうむったということを意味しています。

 これだけ自民党が負けた原因はさまざまあるでしょうが、その大きな要因の一つは、森首相の度重なる「失言」であったと思われます。特に、「寝てくれればいい」発言は、選挙が終盤にさしかかり、無党派層などが「さてどうしようか」と考え始めたその時に絶妙のタイミングで発せられ、しかもこれら無党派層の心情を逆なでするものであったという点で、かなりの影響があったように思われます。

 しかし、それでも自民党の成績は惨敗というほどのものではなく、損害が少ないように見えるのは、改選前の数の271が過半数の251を20議席も上回るものだったからです。しかし、事前の世論調査での内閣支持率の低さや連立与党の不人気ぶりからすれば、もっと減ったいたはずではないかと思われるかもしれません。確かにそのとおりです。事実、今回の選挙でも、有権者の中で自民党に投票した人の割合(絶対得票率)は、小選挙区で24.8%、比例区で16.9%にすぎません。つまり、有権者の四分の一から六分の一の人しか、自民党には入れていなかったのです。

 それなのに自民党が233議席も獲得できたのには、いくつかの理由があります。

 最大の理由は、選挙制度の問題です。特に小選挙区制は、自民党の議席だけを増幅させるという魔法のような仕組みだと言わざるを得ません。小選挙区での自民党の相対得票率は41.0%ですから、これがそのまま議席に反映される比例代表制であれば、自民党の議席は123になっていたはずです。そうなれば与党全体の議席も217議席となって、過半数の241議席を大きく割り込んだはずです。

 しかし、実際には自民党の小選挙区での議席は177になり、差し引き54議席も得しています。この54議席という数は、民主党が比例区で獲得した47議席を上回っていますから、自民党は小選挙区制という制度によって民主党の比例区での獲得議席以上をプレゼントされたということになります。こんなインチキが許されていいのでしょうか。これでも、民主主義だなどと言えるのでしょうか。

 このような、比例代表制なら得られるはずのない54議席を、小選挙区制であるが故に手に入れることができた自民党は、41%の得票率で59%の議席を獲得することができました。まさに、「小選挙区制の魔術」というべきでしょう。ただしそれは、179議席になるはずの自民党を54もかさ上げして233議席にしてしまうという、有権者にとっては「悪魔の魔法」にほかなりません。自民党は、「悪魔」の手を借りて、ようやく230を越える議席を手に入れることができたということになります。

 もう一つの理由は、自民党を支持していない人々が選挙に行かず、森首相の期待通り「寝てしまった」からです。投票率は前回よりも3ポイントほど高まりましたが、しかしそれでも歴代二位の低水準で、二時間の時間延長にもかかわらず、大きな前進はありませんでした。投票率がもっと上がっていれば、自民党はさらに大きな後退に見舞われたでしょう。このことは、投票率の比較的高い農村部で自民党が多くの議席を獲得し、比較的低い都市部で民主党の当選が多かったことからも明らかです。

 第三に、政策問題をめぐる深部の理由もあります。景気回復の足取りは重いとはいえ、若干の明るさが見えてきた、あるいはそう思わせた、ということです。景気回復をにおわせるような各種の経済指標の発表が正しいかどうかという点ではかなりの疑義があるとはいえ、問題は、有権者がどう受け取ったかという点です。政府の発表を信じて景気回復に期待をかける人は、連立与党の成果を評価したでしょう。株価が一時の安値から上昇に転じ、選挙期間中にも上がり続けていたという事実も無視できません。都市中上層部における支持の瓦解を防止した要因の一つをここに見ることができるように思われます。

 また、公共事業に依存している地方などでは、予備費5000億円の追加支出で景気回復の勢いを強めてほしいと思ったかもしれません。農村部での自民党の強さは、利益誘導政治の効力が未だ衰えてはいないという事実を物語っています。

 さらにこのほかにも、自民党の議席の減少を阻んだと思われる要因がいくつかあります。その一つは、公明党との選挙協力です。これについては既に多くの指摘がありますので、詳しく述べる必要はないでしょう。公明党が推薦した自民党候補者は161人いましたが、その勝敗は113勝48敗です。勝率は70.2%と、7割を越えました。ただし、この協力については、立正佼正会など創価学会に反発する支持者の離反を招き、自民党本来の組織的体力を低下させるという面もあります。長期的に見て、自民党にとってプラスになったかという点では、議論の分かれるところでしょう。

 もう一つ考慮しておかなければならないのは、一票の価値の不均衡という問題です。同じ一人を選ぶ選挙区でも、農村部の選挙区の有権者が少なく、逆に都市部の有権者が多いという現象が生じています。人口最小の島根3区(24万359人)と最大の神奈川14区(58万7813人)との格差は2.45倍に広がり、格差が二倍以上を越える選挙区は83選挙区に達しました。今回の選挙では、自民党の農村政党化が顕著でしたが、このような一票の格差も自民党に有利な条件を生み出していると言えるでしょう。

 このように、自民党は選挙制度のカラクリや欠陥に助けられ、公明党の助力を得て233議席を獲得しました。しかしそれでも、結党以来最大の減少を免れなかったことは、先に見たとおりです。自民党に対する有権者の風当たりは、このような制度のカラクリや自公協力の壁によって基本的には跳ね返されましたが、その風圧はかなりのものだったといえるでしょう。

 このような自民党に対する風圧は、民主党がもっとうまく対応していればさらに大きなものとなり、与党の壁を押し倒すほどの力を得た可能性があります。得票だけでなく議席においても与党を追い込む可能性が今回はあったと思いますが、それは実現しませんでした。この点では、自民党は「民主党の失敗」に助けられたと思います。その「失敗」とはどのようなものだったのか。次に、民主党について検討してみることにしましょう。


「地滑り」を起こしきれなかった民主党


 今回の総選挙で、民主党は、小選挙区で80議席、比例区で47議席、あわせて127議席を獲得しました。改選前議席は85議席ですから42議席増やしたことになります。この増加分は、自由党の22議席と共産党の20議席をあわせた議席に匹敵します。二党分も増やしたわけですから、躍進そのものです。

 しかし、127議席という数は、総議席のほぼ四分の一強に過ぎず、かつての社会党の到達点と同じくらいの水準です。単独での政権樹立という民主党自身の目標からすれば遠く及びませんし、選挙前の内閣支持率の低さや森首相の「失言」の連発という追い風を十分に生かし切れたようにも見えません。民主党は躍進したが、しかしそれは「大躍進」というほどのものではなかったということになります。

 さて、それでは、民主党は何故、躍進したのでしょうか。

 その要因の第一は、連立政治への批判であると思われます。連立与党の人気のなさは選挙前の内閣支持率18%、連立与党を評価する人20%という数字に示されています。この数字の背後には、将来への不安、景気回復の足どりの重さ、中央と地方分あわせた借金が640兆円という財政問題への懸念、森首相の一連の「失言」への批判などの問題が存在しています。「これでいいのか」という問いに対する「このままでは困る」という回答が、民主党への支持という形で表明されたというわけです。

 第二は、「野党第一党効果」であると思われます。上に見たような、「このままでは困る」という態度表明は、自民党など連立与党の候補者を落選させることによって実現できます。そのためには、連立与党に対抗できる勢力の力を借りなければなりません。こうして、「野党第一党」への力の集中が生ずることになります。有権者は、必ずしも民主党支持でなくても、与党候補を落選させる手段として民主党を利用するわけです。このために民主党は、本来の支持者以外の支持を幅広く集めることができるようになります。このような「野党第一党効果」は、かつての社会党にも、98年の参院選でも見られた現象です。

 第三には、有権者の側も小選挙区制に慣れ、このような当選可能な候補への意識的な投票の集中、つまり「戦略的投票」を行うようになってきたという面もあるのではないでしょうか。小選挙区では与野党ともに当選可能な候補者に入れ、比例区では本来の支持政党に入れるというクロス投票がかなり広範に行われた形跡が見られます。たとえば、自民党は選挙区では42%も得票していますが、比例区での得票は28.3%にすぎません。また、民主党も小選挙区では27.6%得票していますが、比例区では25.2%になっています。共産党の場合には比例区より小選挙区の得票率が高くなっていますが、これは小選挙区でも議席を争うということで力を入れた結果だったと思われます。

 このように、「戦略的投票」の選択という間接的な形で、民主党もまた小選挙区制の恩恵を受けていたということができるでしょう。ただし、民主党の場合には、かなり票を伸ばしながらもあと一歩及ばず落選するという例も多く、小選挙区での死票が増大した結果、得票率27.6%に対して議席率26.7%と、0.9ポイント低下しています。民主党の場合には、自民党と違って小選挙区制のカラクリによる直接の恩恵はなかったと言えるでしょう。

 しかし、このように「躍進」した民主党ですが、政権交代を実現できるほどには「大躍進」しませんでした。今回の躍進は、勝利ではあっても「地滑り的な」勝利と言うわけにはいきません。それは何故でしょうか。何故、森首相が吹かせてくれた「風」を生かして「地滑り」を生み出せなかったのでしょうか。

 第一に、有利な情勢を生かし切れなかった民主党自身の問題があります。今回の選挙で民主党は、政策や政権構想の問題で動揺を繰り返しました。このような動揺が、政権政党としての信頼を獲得する上で、一定の障害になったことは明らかでしょう。

 例えば、政策の問題では、課税最低限の引き下げという「苦い薬」戦術を採用しましたが、「貧乏人いじめだ」との批判が出ると途中で児童手当による低所得者対策を打ち出し、実質的にはこの「薬」が「苦い」のか「甘い」のか、わからなくなってしまいました。結局、この「苦い薬」戦術は、負担増をも恐れずに財政債権問題に取り組む民主党の姿勢を示すというポーズにすぎなくなったと言えます。

 第二に、政権構想の揺れの問題があります。民主党は、連立与党からの「民共政権批判」に答えて、民主党単独政権論を打ち出したり、自民党の加藤紘一元幹事長に秋波を送ったりという、一貫しない態度を示しました。また、「共産党との関係をどうするのか」という「共産党問題」については連立を拒否しましたが、「それで野党政権はできるのか」という疑問には、最後まで明確な回答が与えられませんでした。

 この問題も、政権交代を主張する民主党のアキレス腱であり、有権者の信頼が得られなかった一因であったと思われます。民主党は、野党連立構想を明確に打ち出し、共産党に対しても一定の協力を求める方向を示すべきだったと思います。あるかないかわからない自民党の分裂に期待するべきではなく、また分裂したとしても、選挙で戦った与党勢力の一部と選挙後直ちに連立するなどという無節操な対応はとるべきではありません。まして、「加藤首班構想」などは百害あって一利なしだったと思います。このような構想は、かえって民主党の自信のなさを示し、政権担当能力への疑義を生み出すものだったと言えるでしょう。

 第三は、政策や政権構想におけるこのような動揺は、民主党自身の立場や方向がいまだ十分には定まっていないという、政党としてのアイデンティティの問題を反映しています。そもそも民主党は98年の参院選に向けて急遽結成された「選挙互助会」政党であり、その構成員は、自民党出身者、旧さきがけ出身者、旧民社党出身者、旧社会党出身者までさまざまです。党内には多様な意見があり、国旗国家法案の採択で賛否が真っ二つに割れたのは記憶に新しいところです。

 民主党の政策的な動揺の背景には、このような党内での多様な意見の存在があります。民主党は基本的には規制緩和など新自由主義的な政策を掲げており、中所得者以上の都市居住者にターゲットをすえようとしています。課税最低限の引き下げや地方偏重の公共事業への批判は、このような脈絡から出てきます。しかし他方で、旧社会党出身者もおり、低所得者や公共事業に依存する地方の有権者への配慮も完全には捨て去ることができません。このようなジレンマが、民主党の揺れや一貫性のなさとして表現され、有権者の目には頼りなさとして映るわけです。

 今回の選挙で民主党は政権を狙い得る政党として、一応の認知を受けたと思います。しかし、まだ、政権そのものを委ねるだけの信頼が得られていません。民主党にとっては一刻も早く党内の異論を整理して政党としてのアイデンティティを確立することが必要です。今回の中途半端な躍進は、そのための準備期間として有権者によって与えられた猶予だったのではないでしょうか。

 もう一つ、本質的な問題ではないかもしれませんが、無視できない点があります。それは党首の問題です。鳩山由紀夫党首は、闘いの先頭に立つ政党のトップとしては、あまりに頼りない印象です。私の周りには、「あの頼りなさが都会の若者には受けるのだ」という人もいますが、しかし、私の目から見れば、起きているのか寝ているのかわからないような迫力不足を感じざるを得ません。特に、政党討論会などで党首同士がやり合う場では、大変見劣りするという印象です。「テレビ時代」にあって、これは大きなマイナスでしょう。

 鳩山さんの人気は、いまだ菅さんにおよばず、この間の民主党の動揺にも見られるように、その指導力にも疑問があります。鳩山さんは、小選挙区で苦戦し、あわや落選かという危機に直面しましたが、この選挙区での苦戦も、有珠山噴火に関連して公共事業問題で追いつめられたためばかりではなかったように思われますが、いかがでしょうか。


自民党の「踏み台」となった公明党


 公明党は、今回の選挙で、小選挙区7議席、比例区24議席、合計31議席を獲得しました。選挙前には42議席ありましたから、11議席の減少です。公明党の場合、選挙区には当選を狙える候補者しか立てませんから、18人の立候補者のうち7人しか当選しなかったというのは前代未聞であり、大きなショックでしょう。

 しかも、このような小選挙区での成績は、自民党との選挙協力を行い、万全の体制を組んだ上での結果ですから、衝撃も大きいと思われます。開票速報を見ながら、神崎武法代表は「小選挙区制が小政党にとってこんなに厳しいとは思わなかった」とぼやいていましたが、小選挙区制のこわさが身にしみたのではないでしょうか。

 しかし、小選挙区制が公明党にとって厳しいものだということは、初めからわかっていたはずです。だから公明党は、小選挙区制の導入と並行して大政党への合流戦略を採り、「公明」と「公明新党」に分党した上で、衆院議員によって構成される後者が新進党に合流するという「奇策」に出たわけです。

 ここでの公明党の「誤算」は、信頼していた小沢一郎党首が「純化路線」を目指して新進党を解散してしまったということにあります。そのために、公明党の「奇策」は失敗してしまいました。こうして、念のために残しておいた「公明」と合流して「公明党」を復活せざるを得なくなったわけです。

 もし、新進党のままで総選挙を戦ったなら、神崎代表の嘆きはなかったでしょう。しかし、「死んだ子」の年を数えてみても仕方ありません。というわけで、公明党は自民党との連立を選択し、選挙協力に賭けるという第二の「奇策」に出たわけです。それまで厳しく批判していた自民党との節操なき連立は、総選挙での小選挙区対策のためであったという側面を見逃してはなりません。

 しかし、自民党が候補者擁立を見送って協力した小選挙区での勝敗は5勝5敗と五分の成績になっていますから、この第二の「奇策」もあまり効果がなかったようです。結局、公明党は、自民党の得票数を増大させて当選圏に押し込むための「踏み台」として利用されたということになるでしょう。

 そもそも、自民党は政党としての組織はほとんど存在せず、議員個人の後援会の寄せ集めです。自民党の後援会は個人的なつながりを中心にし、「政治的支持を調達するための集団でありながら、しかし実際には非政治的な『疑似共同体的性格を帯びる』集団へと変貌」(拙著『政党政治と労働組合運動』御茶の水書房、1998年、78頁)していますから、「後援」する議員個人を離れて行動することはほとんどありません。ここに公明党の「誤算」があります。党本部や創価学会本部が号令をかければ一斉に動き出す公明党と、党本部よりも議員個人の言うことを聞く後援会主体の自民党とは、そもそも政党のあり方が異なっています。したがって、同じ選挙協力とは言っても、その効果に大きな違いが出るのは当然でしょう。

 さてここで問題になるのは、今回の連立への参加によって公明党が得たものと失ったものとどちらが多かったのかということです。公明党が得たものは、与党としての立場であり、総務庁長官の大臣ポストであり、児童手当の引き上げなどの政策的成果です。逆に失ったものは、野党として培ってきた「平和の党」「福祉の党」「貧しいものの味方」としてのイメージであり、他の野党との協力関係であり、衆院での11議席であり、選挙での「不敗神話」です。その総括はまだ早すぎるかもしれませんが、連立の可否を含めて真剣に検討してみるべき問題でしょう。

 これまで、自民党と協力し、連立してきた政党は、新自由クラブ、社会党、新党さきがけ、自由党など、いくつかあります。しかし、いずれも衰退し、自由党以外は現在では存在していません。まるで自民党に生き血を吸われ、生気を失っていったかのようです。逆に自民党は、危機に陥るたびにこのような政党との連立を巧みに利用してよみがえり、第一党の地位を保持しつつ、今日まで政権政党としてのポジションを維持し続けています。まさに、ドラキュラのような政党だと申せましょう。公明党もまた、この「ドラキュラ政党」の格好の餌食となって、自民党再生の犠牲になるのでしょうか。


森首相に助けられて生き残った自由党


 選挙直前に分裂し、存続の危機に直面した自由党は、今回の選挙に生き残りをかけて臨みました。その結果、小選挙区4議席、比例区18議席、合計22議席を獲得し、自由党は生き残ることができました。生き残っただけでなく、改選前より4議席増やし、反転攻勢の芽を出すことに成功したと言えるでしょう。小沢党首には不満だったかもしれませんが、存亡の危機にあった自由党にとっては、望みうる最良の結果だったと言えるでしょう。

 このような自由党の前進に最も貢献度が高かったのは、たぶん、森首相でしょう。森さんのおかげで自民党が敗北しなければ、自由党はこれほど増えなかったと思われます。特にそれは、比例区において顕著であると言えるでしょう。自由党の比例区での得票は小選挙区の約三倍強であり、ほぼ共産党の得票に匹敵しています。この自由党の比例区での得票のかなりの部分は、森首相の「失言」に愛想を尽かせた自民党支持者からのものであると考えられます。自民党の小選挙区と比例区との差は800万票もありますが、その一部が民主党に、他の部分は自由党に回ったのでしょう。

 自由党の比例区での得票には、もう一つの出所が考えられます。それは保守党支持者からのものです。保守党の場合には、自由党とは逆に小選挙区の方が多く、比例区での得票は小選挙区の五分の一になっています。この差、約100万票のうち少なくない部分が、かつての同志である自由党に回ったと考えられます。

 このような自由党前進の背景として無視できない要因は、この間の日本社会の右傾化傾向です。昨年の通常国会では、新ガイドライン関連法、国旗国家法、盗聴法、憲法調査会設置法など、国家主義的で右翼的な方向の法律が相次いで成立しました。小林よしのりの『戦争論』が良く売れ、石原都知事の民族差別的な発言が容認され、憲法改正論が多数意見になっているように、国民のなかでの軍国的・排外的・権威主義的な雰囲気が強まってきています。自由党の前進はこのような社会的雰囲気を政治的に表現したものだということができるでしょう。

 もう一つ、重要だったと思われるのは、自由党の政策というよりもその姿勢です。少数になっても掲げる理念や目標を頑固に追及する姿勢は、体制順応的な風潮のなかで一定の新鮮さを持って受け止められたのではないでしょうか。嫌われても、逃げられても、叩かれても、それでも主張を曲げない小沢党首の一貫性が、これにダブってきます。小沢党首の顔が殴られる自由党のテレビCMが話題を呼びましたが、これについて、藤井裕久幹事長は「党首の役割は大きかった。……これまで歩んできた道があの画像と完全にオーバーラップしたから受けた」と評価しています(『朝日新聞』7月1日付)。そうだろうと思います。

 したがって、自由党の前進は、かつて私が指摘した、「現状維持派」「リベラル的改革派」「革新派」の三つのグループと並んで、「権威主義的改革派」(前掲拙著、90頁)がいまだに一定の政治勢力として存在し続けていることを示しています。ただし、朝鮮半島の平和的統一に向けての南北合意や緊張緩和の進展など、このグループの目指す方向と日本をめぐる極東情勢の変化の方向とは全く逆になっていますので、このような前進が今後も続くかどうかは微妙だと申せましょう。


政権チャレンジ政党としての試練に直面した共産党


 事前の調査や報道で躍進するとの観測を持たれていた共産党は、今回の選挙で後退しました。その成績は、小選挙区では議席を得られず、比例区も20議席にとどまり、得票と議席を減らしました。1994年から「歴史的勃興期」(前掲拙著、224頁)を迎えていた共産党は、各種の選挙で議席を増やし続けてきましたが、今回初めて議席を減らしました。この共産党の後退をどう見たらよいのでしょうか。

 今回の成績を前回総選挙と比較すれば、一つの指標を除いて、共産党は他の全てで現状維持または後退しています。前進したのは小選挙区での得票数で、25万票増えています。これを反映して、小選挙区での絶対得票率も前回と同じになっています。全体としては前回とほぼ同じか、若干の後退ということになります。これが6議席の後退という形で増幅されたのは、共産党が小選挙区で完敗したためだと思われます。この点に、“共産党対策”としての小選挙区制の性格が明瞭に示されていると言えるでしょう。

 同時に、98年参院選の比例区得票820万票と比べれば、今回衆院選の比例区では148万票の減になっています。この数字からすれば、共産党の後退はかなり大きなものだったということができるでしょう。

 この共産党の後退の要因としては、第一に、比例区定数20議席削減の影響をあげることができます。議席のほとんどを比例区から獲得する共産党にとって、ここでの定数削減は、他の政党以上に大きな影響を及ぼすことになります。とはいえ、それは6議席も後退するほどのものではありません。

 第二に、選挙期間中に激しく展開された共産党に対する「ピンポイント攻撃」、すなわちネガテイブ・キャンペーンの影響をあげることができます。出所不明の謀略ビラによる反共産党宣伝は選挙のルール違反であり、民主主義社会における選挙のあり方として許されるものではありません。しかしこれも、無党派層の足を止める効果があったとはいえ、それだけで今回のような後退が生まれたとは考え難い面があります。

 第三に、共産党の選挙戦術の失敗という問題も考えられます。それは、議席に結びつかない小選挙区で得票を25万票増やし、議席に結びつく比例区で得票を55万票減らしている点に、端的に示されています。これでは議席は増えません。小選挙区で増えたのは、ここでも議席を狙うということで重点区を決め、選挙運動に力を入れた結果であると思われます。それにもかかわらず小選挙区では議席に届きませんでした。他方、比例区には相対的に力が入らず得票力が減退したため、今回のような結果になったと思われます。

 また、選挙での争点提起も、もっと具体的にもっと的確に行う必要があったでしょう。公共事業の削減という点では、諌早湾の干拓や中海干拓、長良川の河口堰、吉野川の第十堰などを前面に出し、ルールの確立という点では解雇制限法の制定にもっとこだわるべきだったでしょう。共産党の独自性を示すことのできる消費税問題は、選挙の途中からではなく、最初から重要争点の一つとして提起するべきだったと思います。これら、個々の政策提起上の問題でも反省すべき点が少なからずあったようです。しかしこれらの選挙戦術上の問題も、躍進の予測を後退に転化させるほどの影響があったとは思われません。

 第四に、これまで共産党は、旧来の支持者を保持しながら、保守的無党派層など新しい層の支持を獲得するという戦術を採ってきました。これは、うまくいけば支持層を大きく拡大させますが、失敗すれば両者の支持を失うというリスクがあります。

 出口調査などを見ると、無党派層の支持は今回もそれなりにあったようですが、旧来の革新的支持層では一部が離反し、社民党に流れ込んだ可能性があります。自衛隊や安保に対する態度の軟化、小渕首相の死去に際しての談話や「皇太后」の死に際して参議院で決議された「弔詞文」への賛成など、政権担当者や天皇制に対する柔軟な態度表明という「現実化」が、これまでの革新的支持層の一部の反発を招いたからです。

 結局、以上のような諸要因は、現状維持が後退に変わる程度のものであって、この間の躍進の勢いを押し止め、後退させるという大きなマイナスをもたらすほどのものではなかったように思われます。それでは、何故、事前の躍進予想を裏切って共産党は後退したのでしょうか。

 その最大の原因は、共産党が政権に接近し、いよいよその政権参加が現実的な問題として話題になってきたからではないでしょうか。94年以降の国政選挙での躍進によって力を付けてきた結果として、共産党は政権参加を展望しうる地点にまで到達しました。しかも、すでに述べたように、連立与党と野党との政権交代は、得票数からすれば現にあり得る現実的可能性を持っていました。だから、与党側の危機感はすさまじく、「民共政権攻撃」や共産党を狙い撃ちにした「反共攻撃」もまた、かつてない規模と激しさで展開されたわけです。

 このような状況のなかで、有権者の側にも一定の戸惑いや“ためらい”が生まれたように思われます。これまで、まず、共産党は治安対策の対象とされるべきでない普通の政党として認知され、次いで、異議申し立てをするための強力な野党としての実績を示してきました。そして、今回、いよいよ、政権党へのチャレンジ政党としてノミネートされようとしたわけです。しかし、有権者は、異議申し立てのための野党としての共産党の効用を認めつつも、政権に参加しうる政党としての信頼を寄せる点で、ある種のためらいを見せたのではないでしょうか。

 このためらいは、有権者の側の認識不足という面もあるでしょうが、同時に、共産党の側の信頼醸成努力の不足という面もあるでしょう。共産党は、有権者にとって野党としての存在意義が認められるようになってはきても、与党としての信頼感に欠けるところがあるというのが、今回の足踏みの最大の原因であると思われます。選挙の中で、後房雄名古屋大学教授はさかんに「共産党問題」を提起して民主党側の対応を問いましたが、この「共産党問題」とは、同時に共産党自身の問題でもあったわけです。

 共産党は現在、大きな難問に直面しているように見えます。それは、従来のポジションを保持しつつ、野党としての切れ味を磨いていくのか、それとも、政権を展望しつつ政権政党としての信頼獲得への道に踏み出すのかという問題です。結局はこの両者は統一されなければならず、これまでの野党としての実績と信頼を維持しつつ、政権を担いうる政党としての資格をどう認知させていくのかという問題に集約されるでしょう。これが今回生じた壁を突破して新しい地平を切り開くための、共産党にとっての大きな試練であるように思われます。

 来年夏の参院選については、衆院選との同時選挙の可能性が指摘されていますが、森首相の資質や公明党との不協和音などからして、その可能性は小さくないと思われます。したがって、試練に取り組む時間はそう多くはありません。野党共闘によって与党を追いつめる。そして追いつめた後どうするのか。政権戦略の確立と政権政党への脱皮という課題への本格的な取り組みが共産党にも求められている、そんな時代になってきたということでしょうか。


労組離れで再生した社民党


 社民党も、今回の選挙で存亡の危機を脱したように思われます。それだけでなく、新たな政党への脱皮に成功したのかもしれません。今回の選挙での社民党の成績は、小選挙区で4議席、比例区で15議席、合計19議席になりました。前回96年総選挙と比べれば、小選挙区の当選者は4議席で変わりませんが、比例区では4議席増となっています。得票数も、小選挙区で108万票、比例区で205万票も増えました。これは、議案提案権が得られる21議席以上という当初の目標からすれば不十分なものですが、消滅の危機を脱して党の再生を印象づけたという点では、大きな成果だったと言えるでしょう。

 社民党がこのような前進を実現した最大の要因は、“労働組合から見離された”点にあります。社民党が勢力を弱めて以降、以前社会党を支持していた労働組合の多くは民主党支持に回り、社民党から離れていきました。そのために、これまで労働組合に全面的に依存していた社民党は一人立ちせざるを得なくなりました。独自の組織を作り、女性や市民活動家など独自に候補者を開拓する必要が出てきたわけです。これが社民党にとって幸いした、と私は思います。ようやく政党として自立し、「労働組合政治部」から脱皮することができたわけですから……。

 以前、私は、社会党について、「組織構造や活動のあり方における弱点の克服、とりわけ労働組合との関係の刷新や『共産党排除路線』の見直しが不可欠の課題」であることを指摘しました。それは、「労働組合に強く依存するあまり、ついには政党組織としての根を国民の中に深く下ろすことに失敗した点を重視し」たからです(前掲拙著、202頁)。今回の社民党の再生は、このような指摘を裏づけるものであったと私には思われますが、いかがでしょうか。

 同時に、社民党の前進には、このほかの副次的な要因もあるように思われます。その第一は、「がんこに平和、げんきに福祉」というコピーの成功です。土井党首を前面に出したテレビCMも含めて、今回の社民党には無党派層を意識したパブリシティの巧みさが目立ちました。

 第二は、土井たか子党首の衰えない人気ぶりです。投票直前の20日から23日までの調査によると、「望ましい首相」では土井さんが12%の支持を得てトップでした。現職の森首相を5ポイントも上回っています。前回の衆院選では、土井さんは衆院議長から党に戻って選挙を戦いましたが、その直前まで党首であった村山さんの印象が強く、土井人気が十分社民党の成績に結びつきませんでした。

第三は、村山富市元首相や伊藤茂副党首などベテラン議員の引退です。これは土井さんのリーダーシップを前面に出す点でも、新しい政党への生まれ変わりを印象づける点でも、プラスに作用したと思われます。ベテラン議員の代わりに若手や女性を候補者にしたため、社民党は若者と女性の党として選挙を戦うことができたからです。

 第四は、選挙で訴える政策的争点として憲法問題を浮上させた点も奏功したように思われます。テレビCMでは憲法9条を変えさせないという点を前面に出しましたが、「がんこに平和」というコピーとも相まって、有権者の中に残っていた旧社会党的心情に訴えるものがあったと思われます。しかも、昨年の国会での憲法調査会の設置や周辺事態法の制定もあり、革新無党派層の危機意識にピタッとはまる部分があったのではないでしょうか。

 そして第五に、政権を展望するようになった共産党の柔軟化も、かつて共産党に奪われた革新的支持者を取り戻す上で、社民党に有利に働いたかもしれません。98年参院選比例区と比較すれば、共産党の比例区の得票は148万票減り、社民党の得票は123万票増えました。この数字は、共産党から社民党への移動がかなりの規模で生じた可能性を示唆しています。

 こうして社民党は、選挙の結果、19人が当選し、うち10人が女性という最も女性比率の高い政党になりました。平均年齢も10歳若返りました。史上最年少当選記録を更新して25歳4カ月で当選した原陽子議員は、「いまだに労組依存体質とか言われるけど、ここで、がらっとイメージチェンジを果たさないと」(『東京新聞』7月2日付)と語っています。しかし問題は、「イメージ」だけでなく、党のあり方そのものが「イメージ」通りに変わっていくかどうかという点にあります。今回の選挙で、労組から自立する方向性が出てきたとはいえ、なお、当選者の出身基盤で「社民党は労組の割合が21.2%と最も高かった」わけですから……。社民党が、生き残っただけでなく、再生に向けての道を歩み始めることになるのか。その本領が試されるのはこれからです。


自民合流不可避の保守党


 今度の選挙における最も明確な敗者は、保守党です。改選前に18あった議席の半分以上を失い、7議席になってしまいました。しかもその全ては、小選挙区での議席です。保守党は全国政党として認知されなかったといって良いでしょう。有権者は、今回の選挙に向けて急遽結成された「プレハブ政党」としての保守党の本質を、きちんと見ていたわけです。

 保守党の存在意義は、自由党が連立を離脱して以降も与党の立場にとどまりたいと願う議員たちの受け皿としてにすぎません。したがって、そこにあるのは議員個々人の利害であり、保守党という政党自体にはいかなる主体性もアイデンテイテイも存在していません。比例区で有権者のほとんどが保守党に入れなかったのはそのためです。

 保守党の候補者に小選挙区で投じられた123万票は、比例区でほとんど消えてしまっています。保守党の支持者は、議員個人を支持しても保守党という政党を支持してはいないということになります。比例区でのこれらの票は、たぶん自由党に流れたのでしょう。

 したがって、保守党の余命は幾ばくもありません。扇党首が入閣しましたから、次の内閣改造までは存在するかもしれませんが、2001年から省庁再編で大臣の数が減り、したがって年末での内閣改造は避けられません。恐らく、保守党の存続もここまででしょう。遅くとも、来年夏の参院選までには、保守党は自民党に呑み込まれてしまうものと思われます。

 

 

 

V。今回の選挙で明らかになったその他の問題


98年参院選との比較

 第2章で、各党の消長について、一定の評価と分析を行いました。続いて第3章では、今回の選挙を並立制に基づく総選挙という社会実験として捉え、そこで明らかになった諸問題について検討するつもりでした。しかし、各党の消長に関する検討という点では、前回総選挙との比較という視点だけでなく、2年前に行われた98年参院選との比較も必要ではないかと思われます。

 前回の総選挙は4年前であり、参院選はちょうど今回の総選挙との中間にあたります。また、参院選にも衆院選にも共に比例区があり、制度的に比較が可能です。さらに、流動著しかった政党も前回の参院選後には比較的落ち着きを取り戻し、自由党の分裂はあったもののほとんど変わっておりません。

 というわけで、補足的に、前回参院選における各党の成績と今回総選挙の成績とを比較してみたいと思います。比較するのは、二つの選挙で候補者を出した、自民党、民主党、公明党、自由党(保守党を含む)、共産党、社民党の各党で、比較の対象は比例代表選挙での得票数と相対得票率です。

 ただし、ここで注意が必要なのは、この二つの選挙での投票率の違い、投票総数の変化です。投票率では98年参院選が58.8%、今回衆院選が62.5%と、今回の方が3.7ポイント高くなっています。投票総数も98年参院選が5614万票で今回は5984万票と、370万票多くなっています。このような条件の違いの下で生じた、各党の得票の増減であるということに留意して下さい。

第3表 98年参院選比例区との比較


今回の得票数参院選得票数得票数の増減今回の得票率参院選得票率得票率の増減
自民党1694万票1413万票281万票28.3%25.2%3.1
民主党1507万票1221万票286万票25.2%21.8%3.4
公明党776万票775万票1万票13.0%13.8%−0.8
自由党684万票521万票163万票11.4%9.3%2.1
共産党672万票820万票−148万票11.2%14.6%−3.4
社民党560万票437万票123万票9.4%7.8%1.6
その他91万票428万票−337万票1.5%7.6%−6.1
合計5984万票5614万票370万票100%100%0

 

 第3表は、この二つの選挙での各党の得票数と得票率を比較したものです。一見して分かることは、得票数を減らした政党が一つしかないということです。それは共産党で、148万票の減少となっています。総投票数が370万票増えたなかで唯一共産党だけが得票数を減らしているという点に、今回の選挙での共産党の後退の大きさが明瞭に示されています。それに伴って、得票率も3.4ポイントの減少になっています。

 もう一つ目に付くのは、公明党です。98年参院選と今回衆院選とにおける公明党の得票数にはほとんど変化がありません。わずか1万票の増です。得票率は、逆に0.8ポイントの減になっています。このような公明党における票の動きは、一つには、その支持基盤の固さを示しています。選挙の種類や全体の投票率が変わっても投票する人数にはほとんど変化が無いというわけですから、岩盤のような層の存在をうかがわせます。もう一つは、自民党との選挙協力が全く効果を現していないということを示しています。小選挙区とは違って比例代表ですから、自民党支持者は公明党に入れずに自民党に入れたのかもしれませんが、しかし、自民党の比例区での得票は小選挙区より800万票も少なくなっています。つまり、比例区で自民党から逃げ出した票は、公明党には全く流れ込んでいなかったということになります。

 これら二つの政党以外の政党は、いずれも得票数を増やしています。一番増やしたのは民主党で286万票、次いで自民党が281万票、自由党が163万票(保守党の25万票を含む)、社民党が123万票となっています。得票率の増加もこの順番です。これを見ても、民主党が前回の参院選に続いて大きく得票を増やし、「2連勝」したことが分かります。しかしそれは、自民党にほぼ匹敵する水準に過ぎず、ここでも「大躍進」とまでは言えない、中途半端な勝利であったことが分かります。

 自民党は98年参院選よりも281万票増やし、得票率も3.1ポイント高めました。しかしそれでも、小選挙区での得票数より800万票も少ないわけですから、逆に言えば、いかに自民党が小選挙区で多く得票しているかということになります。このような増加分があり、大敗北した参院選から多少回復したため、自民党は「地滑り的大敗北」を免れ、したがって橋本元首相とは異なって森首相の首がつながったわけです。

今回の総選挙で前進した自由党と社民党は、98年参院選との比較でも、その前進ぶりは明らかです。自由党は、保守党の分も含めて163万票も増やしており、社民党は123万票を増やしました。得票率もそれぞれ、1.7ポイント、1.6ポイントの増加です。98年参院選では、自由党は健闘、社民党は苦戦と明暗を分けていましたが、今回はともにかなりの前進を果たしたと言えるでしょう。特に、党名変更以来、各種の選挙で後退を続けてきた社民党にとっては初めての増加であり、今回総選挙での前進の意味は極めて大きいと言えるのではないでしょうか。


再度明らかになった制度の問題点


 私は、前掲の拙著『徹底検証 政治改革神話』の中で、「第二章 『小選挙区制の害悪』の検証」を設け、76頁以降で、@民意がゆがむ、A大量に死票が出る、B逆転現象が起こる、C少数政党が排除される、D投票率が低下する、と5点にわたって小選挙区制の問題点を検証しました。この中には、すでに何度も言及した点もありますが、ここで改めて問題点をまとめて検証することにしましょう。

 第一に、民意がゆがむという点です。この点に関して、私は「有権者の選択と議席に大きなズレが出ること、少数の支持を多数に増幅する機能を持つこと」を指摘しましたが(拙著『一目でわかる小選挙区比例代表並立制』57頁、59頁、『徹底検証 政治改革神話』76頁)、今回もこのような問題点が裏づけられました。相対得票率と議席率のズレという点では、自民党が41.0%の得票率で59.0%の議席を得たこと、共産党が12.1%の得票を得ながらも議席ではゼロになったのが象徴的です。自民党の場合には、過半数を与えなかった民意がゆがめられて6割近い議席となり、共産党の場合には1割以上もあった支持がゆがめられ、全く無視される結果となっています。このようなゆがみは制度的に必ず生ずるものであり、その結果として、投票によって示される「直接的民意」と、それをゆがめた上で議席によって示される「間接的民意」とが生まれることになります。

 この両者が同じものであれば、「民意はどれか」などという問題は生じないのですが、ゆがめられる前とゆがめられた後とでは、民意のあり方がかなり異なってしまうために、「民意はどれか」という問題が生じます。今回の選挙の結果を判断する際の混乱は、「虚構の民意」である「間接的民意」によって選挙結果を論じたために生じたものです。「実際の民意」である「直接的民意」によって選挙結果を見れば、有権者が何を望んでいたかは火を見るよりも明らかです。

 また、自民党の場合のゆがみは「少数の支持を多数に増幅する」例として際立っており、4割台の得票で6割台の議席を得るという魔法のような結果になっています。しかも、このような「増幅」が過半数ラインを越えて生じているという点も無視できません。議会政治においては、過半数を越えるかどうかは質的な意味を持っていますが、それが制度のカラクリによって生ずるというのは、この制度の本質的な欠陥を物語っています。結果的に、過半数を与えないという有権者の意思が完全に踏みにじられているからです。

 そもそも代議制という制度は、有権者に代わって議員が法律などについての問題を議するという制度です。そこで何よりも重要なことは有権者、すなわち主権者の意思が正当に代表されるということでしょう。「過半数以下の得票」が「過半数以上の議席」に変換されてしまうよう仕組みで選ばれたものが、どうして「正当な代表」だと言えるのでしょうか。

 第二に、大量に死票が出るという問題です。今回も、約3153万票の死票が出ました。総投票数の半分以上で、死票率は51.8%に上りました。政党別では、民主党に投じられた937万票が無駄になり、死票率は55.7%になります。共産党の場合、735万票が死に、死票率は何と100%になりました。このような高い死票率を出す制度をこのまま続けて良いのでしょうか。

 続けて良いという人は、これらの無駄に投じられた有権者の意思は無視して良いという立場に立っていることになります。総投票数の半数以上の有権者の意思を無視して良いというわけです。このような立場の人を、民主主義者と呼べるのでしょうか。選挙で表明された有権者の半数の意思を無視して、それでも代議制度だと言えるのでしょうか。半数以上の有権者の意思が意味を持たない選挙が、果たして正当な選挙だと言えるのでしょうか。

 また、死票の存在をやむを得ないと考える人は、死票になるのは当選できない人に投票するからだ、それが嫌なら当選可能性のある候補者に投ずるべきだと考える人でもあります。当選する可能性のほとんどない候補者に投ずる有権者は、自ら進んで死に赴いているというわけです。

 このような考え方は、投票の自由を踏みにじるものです。投票の自由を認めない人を、民主主義者と呼べるのでしょうか。選挙において、当選できるかどうかという要素を加えて判断せよと言うのは、支持するかどうかという判断基準だけで投票してはならないと言っていることと同じです。早く言えば、当選できないような候補者に投票する愚を犯してはならないというわけです。支持するかしないかではなく、当選するかしないかをも加味した「戦略的投票」をすべきだとするこのような議論は、結局、有権者個人の自由な投票を大きく阻害することになるでしょう。

 それだけではありません。小選挙区に立候補する候補者の立候補の自由を結果的に阻害することにもなります。当選の可能性がなければ立候補してはならないと言うに等しいからです。当選の可能性があろうとなかろうと、その意思があれば誰でも立候補できるはずです。しかし、当選の見込みのない候補者には投票するなということになれば、そのような見込みのない候補者は初めから立候補を断念するでしょう。

 こうして、弱小の候補者は次第に淘汰され、当選を争うことのできる2人の候補者に絞られることになります。投票するべき候補者を見いだせず、支持してもいない候補者への「戦略的投票」を潔しとしない有権者は、投票を断念することになるでしょう。候補者の数も減り、投票する人の数も減る。これが小選挙区制において、将来最もありそうなシナリオです。

 最後に、死票は選挙に付き物だと考えておられる方のために、死票の出ない選挙制度もあるということを、念のために強調しておきましょう。比例代表制なら、基本的に死票は出ません。全ての投票が生かされます。「基本的に」というのは、選挙区を狭く、定数を少なくすれば、比例代表制でもいくらかの死票は出るからです。現に、全国を11に分け、定数を20削減したために、今回の比例区でも議席につながらない得票(死票)が出ました。しかし、それは小選挙区制に比べれば極めて少なく、なくすためには、定数を増やすか、選挙区を拡げればよいということになります。

 第三に、逆転現象が起こるという点ですが、これについてはすでに第1章で詳細に述べました。今回も与野党間で、得票率と議席率の逆転が、明瞭な形で起きています。

 小選挙区での与党の得票率は45.3%で、野党の得票率は46.9%です。与党よりも野党の方が1.6ポイント多いということに注目して下さい。「直接的民意」、すなわち「実際の民意」は、与党よりも野党の方に多数を与えていたわけです。

 しかし、小選挙区の議席率では、与党は63.7%、野党は29.3%になっています。野党よりも与党の方が34.4ポイントも、つまり野党の2倍以上も多くなっていることに注目せざるを得ません。「間接的民意」、すなわち「虚構の民意」は、野党よりも与党に2倍以上の議席を与えたわけです。

 このように、得票率で野党より少なかった与党は、議席率で野党より2倍以上も多くなっています。1.6ポイント下回っていたはずが、いつの間にか34.4ポイントも上回ってしまう。これを「逆転」と言わずして何と言いましょうか。インチキにも色々ありますが、こんなにひどいインチキはそうざらにあるものではありません。しかも、主権者たる有権者の民意を問う総選挙でのインチキですから、その罪、万死に値すると言えるでしょう。

 少数を多数に、多数を少数に変換してしまうこのようなインチキを内在させている選挙制度は、民意に基づく政治、すなわち民主政治における政治制度として正統性をもち得るでしょうか。このような制度を擁護する人は、「実際の民意」を無視しても、それがゆがめられても良いと言っていることになります。このような人を、民主主義者と呼べるのでしょうか。

 第四に、小政党が排除されるという問題があります。公明党の神崎代表が「小選挙区制が小政党にこんなに厳しい制度だとは思わなかった」と述べたことは、先にも紹介しましたが、今度の選挙でも、この厳しさは極めて明瞭に示されたと言えるでしょう。

 各政党の小選挙区での獲得議席数は、自民党が177、民主党が80、公明党と保守党が7、自由党と社民党が4、共産党ゼロ、その他21となっています。ここには、はっきりとした2つのグループがあります。小選挙区で二桁獲得できる政党とできない政党の2つです。両者の境界線は、民主党と公明党の間に引かれています。

 このような違いは、公明党以下の小政党が、事実上、小選挙区から排除されたために生じたものです。これらの政党が小選挙区で議席を得るのは極めて困難であり、これは今後も変わらないでしょう。こうして、先にも述べたように、小政党の淘汰が進むことになります。

 今回の結果は、小選挙区での排除を免れた2つの大政党が自民党と民主党であることを示しています。両者をあわせた議席率は、85.7%にも上ります。四捨五入すれば9割にもなる議席を2つの政党で占めたわけですから、小選挙区に限って言えば「二大政党制」的な方向性が強まり、「疑似二大政党制」が、今回の選挙によって生じたと言えるでしょう。「小選挙区制の趣旨」は、決して理解されていなかったわけではないということになります。

 しかし、このように制度の強制によって小政党を淘汰し、むりやり二つの政党に整理してしまうというやり方が、はたして正当、かつ民主的なのでしょうか。その規模が小さいからといって、小政党には存在する理由も価値もないと言えるのでしょうか。それなりに存在理由もあり、また有権者の利害も代表している政党を、規模が小さいからといってその「生存の権利」を奪ってしまって良いのでしょうか。この問題については、「二大政党制」について検討する後の節で、改めて取り上げたいと思います。

 第五の、投票率が低下するという問題についても、節を改めて論ずることにしたいと思います。今回で選挙の投票率は低下はしませんでしたが、その回復は予想されたよりも少なく、ほとんど投票時間の延長分くらいの伸びにとどまりました。その結果、最低記録は更新しませんでしたが、しかし、前回に続けて2番目に低い記録になっています。ここにも、小選挙区制の悪しき影響がうかがわれると、私は考えていますが、くわしくは次の節を参照して下さい。

 このほか、今回明らかになった点として、現職の再選率の高さという問題があります。これについても、私は、拙著『一目でわかる小選挙区比例代表並立制』の中で、次のように言及したことがあります。

 「小選挙区制では、新たな政党の参入は非常に困難になり、既存の大政党に固定されるようになります。現にイギリスでは、……7割以上が保守党か労働党のいずれかに、議席が固定化する傾向がありました。……また、政党の固定化は候補者の固定化を促進する可能性があります。……各政党は当選をより確実にするために現職の候補者を優先的に公認するからです。」(前掲拙著、75〜76頁)

 現職が優先的に候補者となり、再選されて議席が固定化する傾向が出てくる。これが私の予測でしたが、どうなったでしょうか。解散時に小選挙区に議席を持ち、今回も同じ選挙区に立候補した現職議員は、与野党あわせて265人いました。このうち、当選したのが197人、落選が68人です(『朝日新聞』6月26日付)。その当選率は74.3%になりますから、かなり高率だと言えるでしょう。

 小選挙区300の中で、現職が再選されたのも197選挙区ですから、選挙区における現職再選率、いわば固定率は65.7%ということになります。イギリスほどではなくても、やはり現職の再選率が高いということ、選挙区の候補者の固定化が始まりつつあるということが言えるように思われます。世襲議員の増大とあわせて、このような現職の再選率の高さや選挙区での議席の固定化は、日本社会の流動性の低下という最近の風潮をさらに強めることになり、大きな問題であると言えるでしょう。


ほとんど回復しなかった投票率


 今回の選挙で注目されたものの一つに、投票率の問題があります。前回の投票率は小選挙区で59.65%、比例区で59.62%でした。これは今回それぞれ、小選挙区で62.49%、比例区で62.45%にまでアップしました。それぞれ、2.84ポイント、2.83ポイントの上昇です。史上最低を更新することは避けられましたが、これまでの衆院選での投票率の中では、2番目に低い投票率であり、画期的に改善されたと言うわけにはいきません。

 しかも、前回に比べてのこの投票率の上昇は、投票時間を2時間延長したことによって、かろうじて可能になりました。自治省推計による午後6時時点での投票率は48.95%で、これ以前に投じられた不在者投票の投票率を5.5%として加えても、54.45%にしかなりません。この時点では明らかに前回を下回っていたわけです。

 このような投票率の低さには、さまざまな原因が考えられます。私は、拙著『徹底検証 政治改革神話』で、史上最低となった前回の投票率を取り上げ、「@政党や政治家が信頼できず、政治そのものへの興味と関心が低下している、A政策や争点が良くわからず選ぶに選べない、B投票によって当選者が変わり、政治のあり方も変化するという有効性感覚が実感できない、などの要因」(27頁)を挙げました。これらの要因は、今回の選挙にも当てはまるように思われます。

 また、これらの要因が生じた原因として、「第一に、この間の連立政治のあり方が、政党と政治家への信頼を失わせ、政治不信を高めた」「第二に、公選法の規定や選挙活動のあり方が、政策や争点の浸透を阻害している」「第三に、小選挙区比例代表並立制という新選挙制度が、有権者を戸惑わせた」(同前、28頁)という、三点を指摘しました。第一と第二の原因については、その後も大きな改善が見られません。

 それどころか、前の選挙では自民党を厳しく批判していた公明党が連立に加わり、創価学会の政治への関与に反対していた自民党候補者が公明党の支援を受けるなど、「政党と政治家への信頼を失わせ、政治不信を高め」るような事例に事欠きません。また、政党発行の雑誌や新聞の宣伝活動が選挙中に禁止され、ポスター掲示の制約も強まるなど、「政策や争点の浸透を阻害」するような新たな規制も導入されました。これらは、有権者を投票所に引き寄せるというよりは、追い立てているとしか言いようのないものです。

 ところで、先に私が指摘した第三の原因「小選挙区比例代表並立制という新選挙制度が、有権者を戸惑わせた」という点については、どうでしょうか。今回で並立制は二回目になりますから、「新選挙制度が、有権者を戸惑わせた」ということは、もうないでしょう。しかし、それに代わって、「この選挙制度の問題点が明らかになり、有権者が投票の意欲を失った」という新たな原因が生じているように思われます。

 比例代表制では、このような問題は生じません。問題は小選挙区制です。小選挙区では、当選を争える政党の候補者は限られ、しかも支持する政党の候補者が立候補していない場合も多くあります。「戦略的投票」のように、支持していなくても、もっと嫌いな候補者を落とすためにやむを得ず「次善の候補者」に投票することも強いられます。しかも、落選してしまえば投じられた票は無駄になり、「死票」となります。このような「死票」は、前回では投票総数の54.6%、今回は51.8%も出ました。投じられた票の半分以上が、「死んで」しまったわけです。

 そうなりますと、投票する相手がいない、支持してもいない候補者には投票したくない、投票しても当選しない、投票しても無駄だということになり、投票意欲が削がれてしまいます。私は、前掲の拙著で、「並立制が有権者をけちらした」(同前、31頁)と書きましたが、このような面は今回の選挙でも少なからずあったように思われます。現に、自民党の候補者が圧倒的に強く、当落が事前に予測できる「保守地盤で低下目立つ」(『毎日新聞』6月26日付)とのことです。

 投票意欲を高めるためには、政治が民意への応答性を高め、政党や候補者が魅力あるものになっていくことも大切ですが、有権者が投票しやすく、その投票が議会の構成などに有効に結びつかなければなりません。投票率の高低も、政治のあり方や選挙運動の実際、選挙制度などと密接に結びついていることを忘れてはならないでしょう。


「二大政党制」をどう考えるか


 現行の小選挙区比例代表並立制が導入された時、その「謳い文句」になったのは、「二大政党による政権交代を可能にするため」というものでした。その後の政治の動きと選挙の実際は、このような「謳い文句」の正しさを実証したでしょうか。「二大政党制の神話」を検証するためには、いくつかの側面に分けて考えてみる必要があります。

 第一には、「二大政党制」そのものが、今日の政党制度として望ましいものであるかどうかという点です。これについては、望ましくないという結論が出ているのではないでしょうか。

 そもそも「二大政党制」と呼ばれるような政党制が存在しているのは、イギリスとアメリカであり、その他は多党制です。「二大政党制」は例外的なものであるということが、ここから明らかになります。最近では、イギリスでもアメリカでもこれに対する批判が強まっており、第三党運動が展開されています。

 また、今日のような多様化・複雑化した社会において、多様で複雑な利害を代表する政党が二つしかないという状況は大きな問題を生む可能性があります。政治的代表に社会的利害関係が正しく反映されず、マイノリティの利害がスポイルされてしまう危険性が増大するからです。アメリカでは「多数派の専制」が問題となっています(ラニ・グイニア〔志田なや子監修・森田成也訳〕『多数派の専制』新評論、1997年、参照)が、「二大政党制」はこのような状況を弱めるのではなく、強めることになるでしょう。

 第二に、「二大政党制」が望ましいという根拠の一つに、「政治の安定」という問題がありました。多党制にもとづく連立政権では政治が不安定になるというのです。これも誤りだったことが実証されたといって良いでしょう。

 93年の細川政権樹立以降、橋本政権の最後と小渕政権の最初の一時期を除いて、この間の政権は基本的に連立政権でした。この間、連立であるが故に、政治が不安定だったと言えるでしょうか。確かに、羽田政権などは不安定でしたが、それは少数与党のためであって連立だったからではありません。逆に連立であっても、自自連立後の小渕政権は極めて安定し、新ガイドライン関連法や盗聴法など国民や野党が反対する「問題法案」を次々に通過させてしまったではありませんか。このどこに、政治の不安定があったというのでしょうか。連立政権になれば政治が不安定になるというのは、まだ連立が一般的でなかったときの「威し文句」にすぎませんでした。93年以降の「連立時代」を経験した今となっては、何の根拠もない「神話」にすぎなくなったと言えるでしょう。

 第三に、「二大政党制」になれば、政権交代が容易になるという議論もありました。まだ「二大政党制」になっていませんので、これが正しいかどうかは検証できません。しかし、小選挙区制になれば政権が交代しやすくなるという「神話」は、すでに述べましたように、今回の選挙で木っ端微塵に打ち砕かれました。

 小選挙区制が与党と野党のいずれかを選ぶかの判断を有権者に迫るものだとすれば、小選挙区での与党の得票率45.8%、野党の得票率46.9%ですから、有権者は明らかに野党の方に軍配を上げていたということになります。しかし、実際の議席では、与党の議席率63.7%、野党の議席率29.3%となって、与野党が逆転しています。これが「逆転現象」と私が呼んでいるもので、これは今回の選挙でも明瞭に現れていました。野党優位を選択した有権者の判断が、小選挙区であるが故に正しく議席に反映されず、反対になってしまったことは明らかです。

 他方、比例区での得票率は、これもすでに指摘しましたように、与党41.7%、野党56.8%となっています。有権者は野党に軍配を上げただけでなく、過半数以上の得票を与えました。これは議席率にも反映しており、与党は44.4%、野党は55.6%と、野党の議席は過半数を超えています。与党と野党のいずれかを選ぶかの判断において、比例区では野党が選ばれていることは明らかです。それにもかかわらず政権交代が実現しなかったのは、小選挙区があったためです。小選挙区制が政権交代を容易にするという「神話」も、真っ赤な嘘でした。

 第四に、たとえ「二大政党制」が正しいとしても、それに向けてむりやり有権者の投票を誘導するようなやり方が正しいかどうかという問題は別に検討されなければなりません。有権者の自由な選択の結果として、他の小政党が支持を失い、二つの大政党だけが生き残っていくというのであれば、別に問題はありません。代表されるべき有権者の利害も、大きく二分されているということになるからです。

 しかし、今回の選挙における「戦略的投票」のような投票態度が一般化するとなれば、それは大きな問題を生むことになります。「戦略的投票」というのは、本来の支持政党の候補者が別にありながら、嫌いな政党の候補者を落とすために対抗できる候補者に投票するということです。その結果、本来の支持政党の候補者が姿を消し、次第に小選挙区で争うことのできる二大政党に整理されていくということになります。

 ここでの問題の一つは、実質的に有権者の投票の自由が奪われるということです。有権者の投票は、自由な選択の結果としてではなく「次善の策」として行われます。「最悪」の候補者を落選させるために、「最善」の候補者ではなく、「より小さな悪」の候補者への投票を迫られるわけです。このような投票は、自由な選択だとは言えません。「嫌いだけれど仕方がない」ということで行う投票は、自由投票であるとは言えないでしょう。

 もう一つの問題は、このような投票の結果、別の政党を「最善」だと思っている有権者にとって「最悪」の政党は力を弱め、「より小さな悪」の政党は力を強めるかもしれません。しかしその結果、本来自分が支持している「最善」であると思っている政党は、姿を消していきます。こうして、客観的には、支持政党の消滅に手を貸すことになってしまうわけです。その結果、この有権者にとっては「より大きな悪」か「より小さな悪」かを選ばざるを得ないということになります。そうなれば、嫌気がさして選挙から手を引くことになるでしょう。

 このようにしてむりやり整理された二大政党は、本来の支持者ではないがやむを得ず支持した有権者の支持を背景にすることになります。つまり、本来社会に存在している多様で複雑な利害関係が、どちらか一方の政党に流れ込んでくるということになります。しかし、その多様性の全てを政党の方針に生かすことは不可能です。結局は、多数利害が代表され、少数利害は無視されるということならざるを得ません。「二大政党」のそれぞれの政党内部においても、「多数派の専制」が生ずることになります。独自の利害がありながらその政治的代表を見いだせない人々は、政治の場面から撤退していくことになるでしょう。こうして、政治に対する絶望と不信だけが残るということになります。

 結局、「二大政党制の神話」には、いかなる根拠も見いだすことはできません。いまだにこのような政党制が望ましいかのようなことをいう人は、以上の点について十分に考えていただきたいものです。


またしてもはずれた事前予測


 前回の参院選に続いて、今回もまた、投票率がかなり高くなるという予想や新聞各紙の獲得議席についての事前予測は大きくはずれました。例えば、『朝日新聞』では、事前の推計の範囲内に入っていたのは公明党と共産党だけで、後は全てはずれています。民主党は最大推計124を3議席、自由党は21を1議席、社民党は17を2議席上回りました。逆に自民党は最小推計244を11議席も下回り、保守党も8を1議席下回りました。また『毎日新聞』では、事前予測の範囲に入っていたのは自由党だけで、自民党は予測を18議席下回り、民主党は予測を13議席上回るなど、全てはずれています。このような推計と実際との差は、自民順調・民主苦戦の予測が、実際には自民敗北・民主躍進となったためです。

 ここには、二つの問題があるように思われます。一つは、事前予測を見て投票態度を変える「アナウンスメント効果」の問題であり、もう一つは、調査の精度の問題です。

 今回も、事前予測の数字を見て投票態度を変えた人、あるいは決めた人はかなりいたと思われます。とりわけ、この数字を見て森首相が「寝てくれればいい」発言を行ったため、無党派層の反発を買い、事前予測の「アナウンスメント効果」を増幅することになったと思われます。自民党圧勝の予測を覆した隠れた「功労者」は、森首相であったということになるでしょう。

 もう一つの問題である調査の精度という点では、「電話調査」の持つ落とし穴を指摘しなければなりません。投票予定や事前予測に関する調査の多くは、無作為で抽出した電話によってなされますが、しかし、この抽出の対象は電話帳に記載されたものに限られます。そうすると、電話帳に記載されていない人は対象にならず、調査対象になっても、不在で電話に出られない人のデータは集められません。

 したがって、電話による調査には、携帯電話の所有者などの除外、在宅する機会の少ない人の除外という「二重のバイアス」がかかる可能性があります。携帯電話やPHSを所有している人も、不在で電話に出られない人も都市の住人や若者に多いわけですから、結局、事前調査の対象としてこれらの人が事実上除外されていたということになります。したがって、今回のように、都市の住民や比較的若い世代によって生み出された自民敗北・民主躍進という現象が、事前調査によって把握されなかったのは当然だと言えるでしょう。また、投票予定の人の率が高く出てくるのも、同様の「バイアス」によると考えられます。そうだとすれば、投票率や各党の獲得議席についての事前調査の不正確さは、電話調査という方法自体が持っている限界によるものだということになります。

 付け加えてもう一つ、出口調査にも一定の限界があるということを指摘しておきたいと思います。その制約というのは、不在者投票を行った人の投票態度は反映されていないということであり、今回のように都市と農村の違いが顕著な場合には、調査の地域的な偏りはデータの偏りをもたらしやすいということです。調査地点は、全国まんべんなくということで実施され、全体の傾向が出るように工夫されているとは思いますが、しかし、それでもこのような制約を完全に取り除くことは難しいでしょう。出口調査も、一つの参考資料にすぎません。過信するのは危険だということです。


パブリシティの問題


 時代や社会の変化に対応した選挙運動のあり方という点で、今回特に注目されるのはパブリシティ(宣伝)の問題であるように思われます。商品の売り込みにとってパブリシティがいかに大切であるかは多くの説明を要しませんが、選挙における政党や候補者の売り込みにおいても、同様にパブリシティが大切です。もちろん、商品そのもの質の良さなども重要であり、政党や候補者の質もまた問われなければなりませんが、時には、宣伝だけでブームになるような場合もあります。選挙も例外ではありません。

 政党や候補者の売り込みという点では、従来では文書や音声による街頭宣伝が一般的でした。しかし、この面では、組織力と活動力のある共産党対策を主たる動機として次第に制約が強められ、その効果が減少してきています。

 これに代わって登場してきたのが、テレビでの政見放送や政党CMです。今回の選挙では、特にこの面での重要性が高まったように感じられますが、いかがでしょうか。なかでも印象的だったのが、自由党と社民党のテレビCMです。新聞などでも、「イメージ戦略が奏功」(『読売新聞』6月26日付夕刊)、「頑固者のイメージで注目された自由、社民両党、ともに党首の個性を前面に押し出したテレビのスポット公告があたった」(『朝日新聞』7月1日付)などと評価されています。

 このテレビCMの影響が各党の消長にどの程度影響したかは今後の研究課題でしょうが、私の印象では比例区での得票にかなりの影響を与えたように思われます。今回、テレビCMで注目された自由党と民主党は比例区の得票を伸ばし、テレビCMを放映しなかった共産党は、比例区での票を伸ばしきれなかったからです。

 同時に、これらのCMで党首を前面に出したという点も注目されます。それぞれの政党の特徴を党首の個性として人格化し、党首を売り込むことによって政党への支持を獲得するという新しい戦術の誕生だといって良いでしょう。この点でも、小沢党首を前面に押し出した自由党、土井党首の個性を売り込んだ社民党は、かなりの成功を収めたようです。

 ある調査によると、「最も視聴者が好感したのが自由党のもので、以下、社民、民主、自民、公明と続く」(『東京新聞』7月5日付)そうです。この記事は、「上位3党が党首を前面に出しているのに対し、下位2党は党首が登場しないのが特徴」であり、「このうち自由、社民、民主は議席数を伸ばし、下位だった自民、公明と、CMを制作しなかった共産、保守は議席を減らしている」と指摘しています。また、『日経新聞』の調査でも、「各党が先の衆院選向けに作ったCMのうち一番印象に残っているのは自由党と答えた人が29.3%にのぼり、自民党の10.0%や民主党の8.2%に“圧勝”していた」(『日経新聞』7月12日付)そうです。これらの調査は、特に比例区での投票と政党CMとの関連を示唆しています。

 今回明らかになったこのような傾向は、今後の選挙活動のあり方を考える上で大きな教訓を示しているのではないでしょうか。ポスター、文書やマイクによる宣伝から、テレビなど電子的な伝達手段による宣伝へという流れは、IT革命によって今後も強まっていくように思われます。


むすび―選挙制度の再改革は急務


 以上に見たように、今回の総選挙では、小選挙区比例代表並立制という選挙制度の持っている問題点が、余すところなく明らかになったと言えるでしょう。特に、投票によって直接示される「実際の民意」が、与党よりも野党に多くの支持を与えていたにもかかわらず、小選挙区制という制度を介在させた「虚構の民意」が与党に「絶対安定多数」を与えたために、本来ならあるはずの政権交代が阻止されてしまったという事実は重要でしょう。これほどの「民意」の曲解は、代議制度を支える民主的な制度としてはあってはならないことだからです。

 したがって、このような選挙制度は、一日も早く改革するべきです。現行選挙制度の再改革は急務だと申せましょう。ただし、ここで改革されるべきは、小選挙区制であって、比例代表制ではありません。また、せっかく導入された比例代表制をやめることも賛成できません。

 選挙が終わってから、自民党の野中幹事長や社民党の渕上幹事長、公明党などから、中選挙区制の一部導入論や復活論が出ています。野中幹事長の一部導入論は、自民党の弱かった都市部の選挙区を複数議席にして自民党の議席を得やすくするというものですから、党略的目論見に基づくものです。このような改革論には基本的に賛成できませんが、しかし、全て一人である現行選挙制度より多少の改善にはなるでしょう。

渕上幹事長や公明党の中選挙区制復活論は、定数3の中選挙区を基本に選挙区割りをし直すというものです。しかし、この場合にも、区割りをどうするのか、人口移動や出生率の違いなどによって生じざるを得ない定数の不均衡をどう調整するのかという問題は残ります。せっかく改革するなら、このような面倒な問題が起きないやり方を考えるべきでしょう。

 もちろん、民主党の鳩山代表が主張するような完全小選挙区制は問題になりません。そうなれば、今回の選挙で明らかになった小選挙区制の害悪は、全面的に開花することになるでしょう。今回の選挙でも、もし比例代表制がなく小選挙区制だけだったなら、59.0%の議席率だった自民党は283議席に、26.7%の議席率だった民主党は128議席になっていたはずです。民主党の議席はほとんど変わりませんが、自民党は現状より50議席も増え、単独で「絶対安定多数」を越えることができたでしょう。

 同時に、小選挙区制だけだったら、公明党と保守党は11議席、自由党と社民党は6議席、共産党はゼロとなります。今回の結果と比べても、いかに「民意」がゆがめられるか、明白ではないでしょうか。このような選挙制度を検討の対象にするというだけでも、選挙制度に対する無知、民意に対する無感覚を証明するものだと言わざるを得ません。

 したがって、選挙制度の再改革の方向は、比例代表制度を中心としたものにするべきです。比例代表制にすれば、確かに一党で過半数を占めることは難しくなります。しかし、日本はもはや連立時代に入っており、今日においても多党連立状況は普通の姿になっています。単独政権ができにくくなっても何の問題もありません。連立政権では政権基盤が不安定になり、政治が安定しないと言うのは、単なる「威し文句」にすぎませんでした。

 具体的には、現行の小選挙区制を廃止し、その分の定数を現行11ブロックの比例代表制に振り分けるというやり方が最も簡単であり、民主的なものとなるでしょう。面倒な区割りなどを考える必要もなく、定数の不均衡という問題も生じません。ここにはいかなるカラクリも存在せず、投じられた票の全ては、各政党の議席の数に反映されます。

 これに加えて、現行の制度とは異なるもう一つの改革を導入できれば、もっと良い選挙制度になります。それは、比例代表の候補者をあらかじめ順位を決めた拘束名簿式ではなく、順位を決めない非拘束名簿式とし、有権者の投票は政党名ではなく候補者名で行うというものです。投票方法も、将来的には電子投票をめざし、差し当たりは印刷された用紙に印を付ける記号式に変えるべきでしょう。

 各政党の獲得議席は、所属する候補者の得票を集計して決定し、各政党の候補者の当選順位はそれぞれの候補者の得票数によって決まります。こうすれば、有権者は政党を選ぶだけでなく、その中で当選させたい候補者や落選させたい候補者も選ぶことができます。政党内部での候補者の選択と淘汰が可能になり、ある政党が汚職議員を候補者に選んでも落とすことができるようになります。

 このようにして、有権者の投票がそのまま議席や当落に反映されれば、政党や政治家の政治に対する緊張感が増し、その行動ももっとましなものになるでしょう。有権者の一票が尊重されれば、投票に対する有効性感覚も増し、投票率も向上するでしょう。「民意はどちらか」などと頭を悩ますこともなくなるでしょう。

 ということで、選挙制度の再改革案として、全国11ブロックの比例代表制を提案いたします。今の所、これが最善であると考えていますが、中選挙区制や小選挙区比例代表併用制も、現行の選挙制度よりはましですから、検討対象にはなると思います。「国民主権」が制度的に保障され、民意がそのまま議会に反映される仕組みをどう作っていくのか、知恵を出し合い、工夫し合うことが求められています。

 有権者の一票が尊重される制度こそが理想的な選挙制度であるということを忘れずに、一歩でも二歩でも理想に近づいていきたいものです。