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日本人의 姓氏

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작성자 관리자 작성일작성일 10-10-08 수정일수정일 70-01-01 조회19,902회

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日本의 苗字 Q & A
 
Q1.日本の苗字の数は世界一ですか?                                    
A1.残念ながら間違いである。
 何と言っても世界一は多民族国家のアメリカで、姓の数は100万以上と言われている。(1964年「社会保障番号書類に見られる姓の分布」に関する報告書による)
 日本が約30万で2位、フィンランドが約6万で3位、英国が1万数千で4位、中国が10,129(中華姓氏書法大詞典)で5位、お隣の朝鮮はわずか326姓(現在の韓国は258姓あるいは284姓)である。
 世界で一番人口の多い姓は、中国の王姓で約1億人と言われる。
 
 英米人の姓名―由来と史的背景 続 英米人の姓名―由来と史的背景
 

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Q2.日本の苗字の数は数え方により増減する?                             
A 2.苗字の数え方の定義は、下記の表に示す様に大まかに四つの方式に分類出来る。

数え方 漢字の区別 字体の統合 読み方の区別 苗字件数 コメント
方式1 する - する 約30万件 丹羽基二編「日本苗字大辞典」が採用
 
方式2 する - - 約10万件 Webサイト「全国の苗字」が採用
 
方式3 する する - 約6万件 「佐久間ランキング」が採用
 
方式4 - - する 約5万件 「第一生命ランキング」が採用
 

 字体は新旧字体のほかに異字体や俗字体もあり、戸籍はともかく現実の社会生活では簡単な字体を使い分ける。
 NTT電話帳も掲載者およびNTT業務の都合により、必ずしも正確な字体が記載されている保証は無いのである。
 読み方の区別をしたWebサイト「苗字博士」のランキングの労作があるが、東京・神奈川に限定されている。
 本サイトでは、苗字統計調査の限界を考慮してランキングのみでなく、由来、家系、分布にわたる総合的見地から、昭和の労作である苗字統計「佐久間ランキング」の方式に準拠している。
 
 日本人の姓 (1972年) お名前風土記 (1971年) 日本の名字―五千傑と姓の考現学 (1968年)
 

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Q3.日本の苗字の読み方による10傑は?                                  
A3.異字同訓の多い日本の苗字だが、漢字による10傑と順位は変わらない。

順位 苗字 人口
(千人)  
1 さとう
 1,931
 佐藤、佐東、佐当、左藤、左東、甘庶、砂糖、沙藤など
 
2 すずき 1,710 鈴木、鈴置、須々木、鱸、寿松木、鐸木、錫木、寿々木、周木、鈴記、鈴樹、
鈴城、寿木、寿洲貴、涼木、鈴紀、鈴杵など
 
3 たかはし 1,419 高橋、鷹觜、鷹箸、孝橋、鷹嘴、鷹橋、高端、鷹啄、高梁、喬橋など
 
4 たなか 1,344 田中、田仲、太中、多名賀、他中、多仲など
 
5 わたなべ 1,319 渡辺、渡部、綿部、渡鍋、亘鍋、綿鍋、綿奈部、和田鍋、渡那部など
 
6 いとう 1,202 伊藤、伊東、井藤、依藤、井東、井頭、一、居藤、猪頭、夷藤、井登、猪藤、
藺藤、翫、位頭、意東、渭東、位藤など
 
7 やまもと 1,103 山本、山元、山許など
 
8 なかむら 1,085 中村、仲村、中邑、中邨、名嘉村、仲邑など
 
9 こばやし 1,027 小林、古林、児林、子林、小早志、少林など
 
10 さいとう 988 斎藤、惺、西塔、選、才藤、済藤、纖、歳桃、妻藤、斎当、細藤、犀藤、
再東、專、歳藤など
 

 漢字による10傑以外に同じ読み方で人口が多いのは、渡部(18万4000人)と伊東(11万人)であり、ほかには山元(2万6400人)、仲村(2万5500人)などが挙げられる。

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Q4.日本の苗字は何種類の漢字が必要か?                            
A4.字体統合を計れば約三千五百字程度で可能だが、旧字体、異字体や俗字体などを許容すれば約五千字程度は必要と思われる。 表面的には、意外と少ないものと感じられるのではないだろうか。
 しかし、一般的にパソコンで使用されているJIS第一水準、第二水準に無い漢字も多いことは事実である。
 平成12年に追加制定されたJIS第三水準、第四水準からも漏れている漢字も多く存在する。
 住民基本台帳ネットワークシステムにおいては非公開の統一文字コード(約二万一千字)を使用しており、基本はユニコード・ベースのエミュレートで、漏れている漢字は残存外字として外字領域に登録している様である。
 現在のユニコードCJK統合漢字は基本多言語面(BMP)のI領域に20,902字、A領域に拡張Aとして6,582字が、将来使用予定の面02には拡張Bとして42,711字が登録されている。
 JIS制定に手間取った日本からの要求は間に合わず、漏れている漢字は面02の拡張Cへの追加要求となる。
 また、現在のWindowsでは面02を利用することは不可能であり、次世代Windows待ちの状態にある。
 JIS第一水準、第二水準に無い検索不能な苗字の一部は、苗字拾遺(検索不能)を参照。
 
 人名漢字の話題と字種 (1974年) ユニコード漢字情報辞典
 

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Q5.苗字と姓氏の違いについて                                             
A5.苗字は近世に発生した語彙で、古代は氏族集団の氏と階級を表す姓(カバネ)が複合されて使用されていた。
 平安時代末期あたりから、貴族は居住地などの称号、武家は名田の名字などを称して、古代の氏は姓または氏と混称されるようになる。
 近世に入ると源平藤橘などの氏は公式文書のみ使われ、日常は名字が一般的となり苗字と呼ばれるようになる。
 明治以降の国民皆称の時代に入ると、氏は廃されて苗字が日常的な呼称となった。
 しかし、現代でも文部科学省では名字、法務省では氏を正式呼称としている。
 
 
足利左馬頭源朝臣直義 ⇒ 足利 左馬頭 源 朝臣 直義
 
                   ↑    ↑   ↑   ↑      ↑
                   苗字   官職名  氏   姓   名前
                  (名字)             (カバネ)
  
 氏と名と族称―その法史学的研究
 

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Q6.姓(カバネ)について                                            
A6.上古の階級は貴族、平民、伴部、賤民から構成され、貴族のみが保有していたのが姓(カバネ)である。
 允恭天皇時代に、君、臣、連、直、造、首の六種が制定される。
 天武天皇時代に、真人、朝臣、宿禰、忌寸、道師、臣、連、稲置の八種に改訂されるが、現実に賜姓されたのは上位の四階級で小錦以上(五位以上)へ昇進可能な家柄に対してである。
 真人……允恭朝制定の君に相当する皇裔諸氏、平安朝以降は朝臣の次に位する。
 朝臣……允恭朝制定の臣に相当する皇裔諸氏(例外として有力神別諸氏)、平安朝以降は皇神蕃の別は消滅。
 宿禰……允恭朝制定の連に相当する神別諸氏(例外として皇蕃諸氏)、平安朝以降は皇神蕃の別は消滅。
 忌寸……允恭朝制定の直(国造や諸蕃)及び造(伴造や諸蕃)に相当する諸氏。
        天武朝貴族一覧
 後世は姓(カバネ)より源平藤橘などの氏が尊重されて、藤原朝臣××、源朝臣××の様に形式的に使用される。
 しかし、その名残りは明治初頭まで続き、初代首相の伊藤博文は明治三年の職員録に従五位守兼民部少輔越智宿禰博文と記載されている。
 
 カバネの成立と天皇 古代の姓 (1976年) 姓と日本古代国家
 

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Q7.家号・名字の発生について                                        
A7.上古は数十人から数百人の同一血縁者が群居した氏族社会で族内婚が禁止され、氏族で出生したものはそれぞれの生母が属する氏族集団で成長する母系制社会が続いていたが、生産力の発展とともに階級分化が進み大化の改新あたりから母系制も衰退過程に入る。
 律令国家の戸籍制度により国民の多くが氏を持つことになったが、大氏族集団時代の氏族集団名を踏襲したことから同氏を名乗る家が多く、公的には氏と姓(カバネ)を名乗るが私的には別途家号を名乗ることになる。
 藤原氏を例に採れば、二代不比等の子四人が住居の方角により南家、北家、官職の式部卿により式家、左京大夫により京家の名乗ったことに見られる。
 
 
【閑院】冬嗣──【一条】良房════【堀河】基経──【小一条】忠平─┐
                                │
 ┌──────────────────────────────┘
 │
 │        ┌【一条】伊尹  ┌【町尻】道隆
 │        │        │
 ├【小野宮】実頼 ├【堀河】兼通  ├【粟田】道兼  ┌【宇治】頼通──【京極】師実─┐
 │        │        │        │               │
 └【九条】師輔──┴【東三条】兼家─┴【法成寺】道長─┴【大二条】教通        │
                                            │
 ┌──────────────────────────────────────────┘
 │
 └【後二条】師通──【知足院】忠実─┬【法性寺】忠通─┬【近衛】基実──基通──家実─┬兼経──基平
                   │        │               │
                   └【宇治】頼長  ├【松殿】基房──師家     └【鷹司】兼平
                            │
                            └【九条】兼実──良経──道家─┬教実──忠家
                                            │
                                            ├【二条】良実
                                            │
                                            └【一条】実経
  
 
 後世子孫が多枝分流すると各人の居宅地名を名乗るが、居宅の女系伝領により父子歴代の家号が変わる。
 摂関家歴代が一条良房、堀河基経、小一条忠平、小野宮実頼と嗣ぐが、平安末期の近衛基実から父系制への過渡期となり、鎌倉期に入ると居所は近衛北室町東亭に固定して近衛名字を世襲することとなる。
 公家の中には祖先建立の寺院号に由来する西園寺、徳大寺、勧修寺などの例もある。
 武士の場合は公家よりやや早く平安末期より父系制へ移行しており、開発した本領を権門勢家に寄進して荘園管理者として収まり荘園名を名字として名乗り、名字地として一族で荘園を世襲する。
 また初期の武家は分割相続が主流で、分家は領内の小地名か移住した新地名を名乗り名字が累増する。
 特に平家滅亡後は関東の武士団が西国をはじめ全国の平家没管領へ新補地頭として移住して、新地名を名字として名乗ったり自己の名字を移住地の地名とする等で全国的な地名遷移や名字繁衍が盛んとなる。
 
 
 苗字の歴史 苗字と名前の歴史 (歴史文化ライブラリー)
       名字から歴史を読む方法―姓氏をたどれば意外な日本史が見えてくる (KAWADE夢新書) 

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Q8.天皇家について                                                
A8.建国神話に拠れば天照大神の直系とされ、源平藤橘の四姓にしても源平橘は天皇家の支流、藤原摂関家は天皇家の強固な外戚であり、天皇家に近い家が名家とされるのは神代から明治・大正・昭和・平成に至るまで一貫した鉄則である。 従って古代から皇位継承の争いが多かったことは歴史が伝え、二朝分立時代も存在したのである。 
 皇室(天皇一族)が一般国民と大きく異なるのは、姓氏や苗字を持たないことである。
 また皇族には戸籍が無く、皇統譜(大統譜および皇族譜)に記録される。
 
 
                                  ┌五瀬命
                                  │
                                  ├稲氷命
                                  │
                                  ├御毛沼命
                                  │
天照大神─┬天忍穂耳尊──瓊瓊杵尊─┬彦火火出見尊─┬鵜草葺不合尊─┴神日本磐余彦尊(神武天皇)
     │            │       │
     │            │       └武位起命──椎根津彦命
     │            │       
     │            ├天火照命──天曽利命        ┌天忍人命──天戸目命
     │            │                  │
     │            └天火明命──天香語山命──天村雲命─┼天忍男命─┬瀛津瀬襲命
     │                               │     │
     │                               │     └建額赤命
     │                               │
     │                               └倭宿禰命──笠水彦命
     │
     ├天穂日命──武夷鳥命─┬櫛瓊命─┬津狭命──櫛瓺前命──櫛月命──櫛瓺鳥海命──櫛田命
     │           │    │
     │           │    ├建弥己呂命
     │           │    │
     │           │    └美志卯命
     │           │
     │           └出雲建子命──神狭命──見狭耳命──五十根彦命──美都呂岐命
     │
     └天津彦根命─┬天御影命──意富伊我都命─┬彦伊賀都命──天夷沙比止命──川枯彦命──坂戸彦命
            │             │
            ├天久之比乃命       ├阿多根命──知久流美命──苫麻杵命──伊加利乃命
            │             │
            ├天麻比止都命       └彦己曽根命
            │
            ├天戸間見命
            │
            └彦稲勝命
 
 
 神武天皇が大和に政権を樹立した当時は政権を支える他の豪族も姓氏を持たなかったが、垂仁天皇時代に武日命が大伴連を称し始め、公卿補任に拠れば仲哀天皇時代に子の大伴健持が大連の号を賜ったとの記載がある。
 応神天皇時代以降の豪族は概ね氏族集団の識別として天皇家から下賜される姓氏が定着する。
 天皇呼称の起源は唐の高宗皇帝が称したが、後にも先にも中国ではこの一例だけである。
 我が国では大宝元年(701)完成の大宝律令に天皇諡の規定が設けられ、42代文武天皇が適用初代である。
 文武天皇を除く神武天皇から44代元正天皇までの諡号は、淡海御船が勅を奉じて一斉撰進したと伝えられる。
 当代の天皇の称号は今上であり、崩御後に漢風諡号が奉られるが明治以降は元号となっている。
 
 歴代天皇・年号事典 歴代天皇・皇后総覧 歴代天皇事典
       歴代天皇全史―万世一系を彩る君臨の血脈
 

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Q9.公家(堂上家)について                                           
A9.公家は武家に対する言葉で、京都の朝廷を構成する人々の総称である。
 広義に公家は堂上家(昇殿を許された家)と地下家から構成されるが、一般的には堂上家を指している。
 官職としては、摂政、関白、太政大臣、左大臣、右大臣、内大臣、大納言、中納言、参議に就く家柄である。
 家格としては、摂家、清華家、大臣家、羽林家、名家、半家の区別があり、古くからある家を旧家、文禄慶長以降創立の家は新家と呼ばれ、幕末には137家を数えるに至る。
 堂上諸家の系譜を集成したものとしては「諸家知譜拙記」がある。
 個々の公卿については「公卿補任」を参照するのが最適であり、神武天皇から持統天皇までは歴代毎に、文武天皇から明治元年までは年ごとに記録されている世界でも稀な長期間の官職録である。
 
    ※公卿出自一覧
 
諸家知譜拙記
 
 
公卿補任
 
 公卿諸家系図―増補諸家知譜拙記  諸家伝 (1968年) 公卿辞典 3訂増補
       国史大系 公卿補任 第1篇 (新訂増補 新装版) 国史大系 公卿補任 第2篇 (新訂増補 新装版)
       国史大系 公卿補任 第3篇 (新訂増補 新装版) 国史大系 公卿補任 第4篇 (新訂増補 新装版)
       国史大系 公卿補任 第5篇 (新訂増補 新装版)
 

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Q10.大名について                                                
A10.古くは大規模な名田を耕作するものを大名主と呼ぶに始まるが、鎌倉期以降は大規模所領を持つ武家、南北朝時代は守護、後は守護に代わる戦国大豪族のことを呼ぶが、江戸時代は万石以上の領主が大名と呼ばれる。
 将軍家との親疎度により親藩、譜代、外様の別、格式により国主、准国主、城主、城主格、無城の別がある。
 官位による家格としては、極官が大納言の尾張徳川家、紀伊徳川家、中納言の水戸徳川家、参議の加賀前田家を上位として中将、少将、侍従、諸太夫までの格付けがある。
 俗に三百諸侯と呼ばれるが、江戸中期以降ほぼ260~270家で推移して版籍奉還時に最大の280家となる。
 江戸期の大名に関する資料は様々あるが、民間出版の「武鑑」は大名の姓氏、紋章、槍印、本氏、本国、官職、官位、石高、屋敷所在地はもちろんのこと略系図、宗旨、菩提寺のほか家老などの重役家臣名の記載もある。
 
    ※大名の宗旨


Q11.華族について                                               
A11.古くは公家の第二等階層の清華家を指す別称であるが、明治2年の版籍奉還と同日に堂上家136家、諸侯248家、堂上格28家、藩主格15家の合計427家が華族と称される。
 「華族類別録」(明治11年刊行、474家収載)によれば、出自は藤原氏201家を筆頭に、清和源氏124家、桓武平氏22家、宇多源氏21家、村上源氏18家、菅原氏15家が続いている。
 明治17年には華族令が宮内省より通達されて、公、侯、伯、子、男の五爵の格付けが行われる。
 以降の授爵者を大別すれば、旧華族として公家華族(堂上、堂上格)と武家華族(藩主、藩主格)、新華族として賜姓降下華族、奈良還俗華族、神官華族、分家華族、勲功華族となる。
 年を経る毎に華族は増え続けて、新憲法により華族制度が廃止された昭和22年5月には913家に達した。
 平成5年、首相に指名され「殿」と呼ばれた日本新党の細川護熈氏は元熊本藩主細川旧侯爵家の家柄である。
 
 華族大鑑 現代華族譜要 (1929年) 平成新修旧華族家系大成 (上巻)
       平成新修 旧華族家系大成〈下巻〉 華族―近代日本貴族の虚像と実像
       華族歴史大事典
 

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Q12.出自とは何を指すのでしょうか?                                    
A12.苗字や称号が発生する平安時代中期頃までは、源、平、藤原、橘、在原、伴、菅原、紀、清原、秦、坂上など約千数百の氏族集団の氏を名乗っていました。   主要氏族派生図     王朝歌人の出自
 その後使われ始めた苗字はありふれた地名に基づくものが多く、同苗字が多く生まれた為に家柄が重視される時代にはむしろ古代の有力な氏が尊重され、この氏が家柄を表し出自と言われる。
 中でも源氏や藤原氏、平氏は分流が多く、さらに××流とか××氏族で区分する。
 出自には、偽系図による僭称や偽称も多いことは事実ですが、由緒正しき家系においてもほとんどの家は血縁養子だけでなく非血縁養子による家系存続を行っているのが実情である。    岡山藩主池田家の例
 出自不詳の家も、家紋、通称、通字などから類推出来る場合がある。
 

┌皇別……(神武天皇以来、天皇家から分かれた氏族)源・平・橘・在原・高階・紀・蘇我・清原など

│   ┌天孫族……(天照大神から鵜草葺不合尊迄の皇祖から分かれた氏族)菅原・大江・尾張など
│   │
├神別─┼天神族……(天孫族と共に皇祖の藩屏として活躍した氏族)藤原(中臣)・伴(大伴)・物部・忌部など
│   │
│   └地祇族……(天孫降臨以前から列島に居住していた氏族)大神・諏訪・宗像・安曇など

│   ┌漢帰化族……(漢土に遠祖を持つ氏族)秦・惟宗・坂上・大蔵など
│   │
│   ├百済帰化族……(百済に遠祖を持つ氏族)三善・多々良・菅野など
│   │
│   ├高麗帰化族……(高句麗に遠祖を持つ氏族)高麗・狛・豊原など
│   │
│   ├新羅帰化族……(新羅に遠祖を持つ氏族)三宅など
│   │
├諸蕃─┼任那帰化族……(任那に遠祖を持つ氏族)
│   │
│   ├その他朝鮮帰化族……(朝鮮半島に遠祖を持つが国名未詳の氏族)
│   │
│   ├渤海帰化族……(渤海に遠祖を持つ氏族)高など
│   │
│   ├大理帰化族……(大理に遠祖を持つ氏族)段など
│   │
│   └その他帰化族……(その他の海外に遠祖を持つ氏族)

└未定─┬出自未確定……(出自に諸説が有り確定困難、あるいは僭称、偽称、仮冒が濃厚なもの)
    │
    └出自不詳……(系図、系譜、補任文書、伝記史料などに出自の記載が無いもの)
 
 
 新編姓氏家系辞書 7版 姓氏家系大辞典〈第1-3巻〉 (昭和9年) 日本名字家系大事典
 

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Q13.苗字のみで出自がわかりますか?                                  
A13.トップ頁でも述べていますが、各苗字における出自は歴史的に主要なものを掲載している。
 人口の多い苗字ほど異流が多く、苗字によっては数十流から百流を突破するものもある。
 中でも中村姓は、異流の多い苗字の中でも筆頭と言われる。 (詳細は中村地名と中村氏を参照)
 官職名や特殊な事由による苗字もありますが、90%以上が地名に由来している。
 官職名系と思われる佐藤、斎藤なども全国各地に佐藤村、斎藤村が存在する。
 これは、佐藤氏や斎藤氏の移住により地名が付けられたことによる。
 以降は、その地の出身者が領主よりの苗字下賜や苗字私称により地縁的な同苗が繁衍するわけである。
 例えば全国の佐藤さんがすべて藤原秀郷の末裔と考えるのはナンセンスである。
 (佐藤姓を代表的とする天下の大姓については10大姓の分析を参照)
 また同一地名が他に無い希少姓ほど、出自判明の確度が高くなる。
 
 地名・苗字の起源99の謎―あなたの祖先はどこから来たか 地名苗字読み解き事典
       苗字と地名の由来事典 苗字と名前を知る事典
 

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Q14.通称から出自がわかりますか?                                     
A14.家系図、墓碑、過去帳、分限帳などで江戸時代の祖先までたどり着けた方は、通称を発見することが出来る。
 通称名は、本姓(出自)と官職名(または輩行名)から構成され、代々間違いなく伝えられていれば本姓がわかる。
 【藤原氏】藤左衛門、藤兵衛、藤十郎 【源氏】源五郎、源内、源大夫 【平氏】平右衛門、平二、平五
 【橘氏】吉左衛門、橘三 【菅原氏】官兵衛、勘左衛門 【大江氏】郷右衛門、郷太郎 【清原氏】清兵衛、清右衛門
 など。
             通称一覧
 
 日本人の名前の歴史
 

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Q15.系図の真偽について                                           
A15.家系を表現する文書として古今東西多く作成されているが、信用出来る部分と信用出来ない部分がある。
 所詮、家系とは接ぎ木であり、古い家系ほど養子(非血縁も含む)や猶子により継承している。
 摂家筆頭の近衛家にしても19代信尋は後陽成天皇の皇子であり、32代忠煇は細川家からの養子なのである。
 英国王室にしても、ノルマン家のウィリアム一世に始まり現在のウィンザー家のエリザベス二世に到るまで、各家初代王は前王家から王妃を迎えて家名は代わるが血系のみは継続している。
 継体天皇の正統性に疑いを持つ学者が多いが、皇后の手白香皇女は仁賢天皇の娘であり血系は継続している。
 また我が国の上古は母系制社会であり、史料に拠っては神功皇后や飯豊皇女の天皇即位説もあり現実に多くの女帝が存在するが、日本書紀編纂時に皇室系図を中華風の男系相続型系譜に再編成したのが真相である。
 上古の皇都が代々転都したり、藤原摂関家の居宅が代々移動して当主が居宅名を称号としたことが物語たる。
 中央貴族末裔を称する中古の豪族の祖も下向した貴族の庶子が婿養子になったのが真相であり、時代を経るに従ひ苗の親戚も中央貴族末裔を仮冒することになり幾何級数的に中央貴族出自の寡占化が起こったのである。
 尊卑分脈に必ずしも誤謬が無いわけではないが、系図の古い部分の人物が尊卑分脈に存在しなければ、その部分に限っては系譜偽造の可能性が高いと言える。
 
 
                                    ┌飯豊皇女
                                    │
┌彦火火出見尊…………応神天皇─┬仁徳天皇─┬履中天皇──市辺押磐皇子─┼仁賢天皇─┬武烈天皇
│               │     │             │     │
│               │     ├反正天皇 ┌安康天皇   └顕宗天皇 └手白香皇女
│               │     │     │                 ║
│               │     └允恭天皇─┴雄略天皇──清寧天皇       ╟──欽明天皇
│               │                             ║
│               └稚渟毛二派皇子──意富富杼王──宇非王──彦主人王──継体天皇
│                                             ║
│                                             ╟─┬安閑天皇
│                                             ║ │
└天火明命──天香語山命──天村雲命──天忍人命…………【尾張】弟彦──岐閇──草香──目子媛 └宣化天皇
 
 
  系図が語る世界史 英国王室史事典 古代天皇系図―初代神武天皇~第50代桓武天皇
       招婿婚の研究 (1953年)
 

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Q16.系図の偽造手法について?                                       
A16.系図の偽造手法も様々だが、江戸時代の偽系図の大家である沢田源内が用いた手法が典型的である。
 甲、乙、丙と続く実在の系図にAという架空の人物を立て、B、C、Dの架空の三代を挟み込み、この後に実在する人物のEを繋ぐのが常套手段である。
 沢田源内は大胆にも六角佐々木氏正系を無視して高頼の長子を氏綱と偽り、架空の三代を立てて偽作している。
 また、母方の和田氏も氏綱の末弟高成の裔として佐々木系図に加筆偽造を施している。
 江戸時代はこの手の系図が広く流布され、旧家所蔵系図や公刊系図集などにも多く見られる現象である。
 
 
  
 
 日本中世史料学の課題―系図・偽文書・文書
 

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Q17.女系系図とは                                               
A17.尊卑分脈をはじめとする代表的な系図集では女姓の実名記載は稀で、紫式部とか清少納言などの宮廷に於ける通称名で記載されていることから男系系図であることは明らかである。
 上古の母系制社会では、氏こそ氏長者を頂点とする氏族制社会であったが、財産は女系伝領であり家号で系譜を作成すれば女系系図になるのが本来の姿だが、中古以降の家族制度が男系中心となり後世に伝わる系図は男系系図が標準となったのである。
 しかし多くの系図の中には女系の子孫を記載している系図が見られ、一般的に女系系図と言われる。
 「若狭国鎮守一二禰宜代々系図」では牟久氏と姻戚関係にある多田氏、池田氏、田中氏、鳥羽氏、和田氏、木崎氏、和久利氏、渡部氏、印庭氏などを包含する構成となっている。
 前述の系図ほどでは無いが、「梶川系図」、「稲葉系図」、「蒲生系図」なども他氏の系図を含んでいる。
 室町・南北朝あたりまで残存した招婿婚は嫁入婚へ婚姻形態が変わるが、以降も母系制の残滓として妻方の苗字を名乗る例があり、「寛政重修諸家譜」や「地下家伝」などに事例が散見される。
  
                           稲葉系図の例
  
 女性が主人公―有名328家の新系図 新家系図集成〈2〉女系尊重―著名280家の新系図
       新家系図集成 (3) 新家系図集成〈4〉有名331家の女性中心新系図
 

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Q18.中国や朝鮮などの出自の苗字は?                                   
A18.平安時代初期に編纂された「新撰姓氏録」によれば、約3割が諸蕃(中国、朝鮮などからの帰化族)であり、我々日本人の血統は単一民族ではなく大陸や半島からの移民が多かったことの証左である。
 例えば、「皇甫」と言う苗字があるが、中国の炎帝時代に治水に貢献した白氏の子孫で西漢(前漢)時代に「皇甫」に改姓している。 現在、半島の韓国にも「皇甫」姓が約8,500人存在する。
 我が国へは、正倉院神護景雲三年(769)文書に「花園正従五位上皇甫東朝」と記録があり、奈良時代に来朝帰化したことがうかがえる。 現在、日本の「皇甫」姓は、約70人ほど存在するが、漢帰化族の子孫と在日韓国人などから構成される。 ほかにも日本の文献に現れない一文字姓の中には、中国出自のものが多く見られる。
 また沖縄においては、明国福州(現在の福建省)からの移民36姓の末裔は沖縄の姓に改称しているが、族譜などを遡れば中国出自であることが分かる。

              仮説「天孫降臨は四世紀の民族大移動」
              応神朝帰化族の正体
              公卿になった帰化族
 
 古代の帰化人 天日槍―帰化人第一号神功皇后外祖母家
       秦河勝―帰化人系の一頂点 聖徳太子の寵臣 (1968年)
       百済王敬福(くだらのこにきしきょうふく)―東北経営の先駆者東大寺大仏造立の殊勲者
       沖縄門中大事典
 

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Q19.源平藤橘の多い理由について                                      
A19.広範な階層が祖先を誇り系図一巻を所蔵するようになったのは江戸時代中期以降のことである。
 多くの家は運が良くても戦国時代末期程度までしか遡れないのが普通であり、ほとんどは出自不詳なのだが、
 
 (1)当時、流布していた大系図(尊卑分脈の抄本)の掲載下限である天正期の系譜上のそれらしき人物に祖先を無理矢理繋いだ結果、勢い源平藤橘の出自が主流を占めるようになった。
 (2)我が国は平安末期から鎌倉期にかけて母系制社会から父系制社会へ移行したが、その後も母系制の残滓とも言える外家(母方)の姓に改称する例が多く、寛政重修諸家譜や地下家伝などに事例が見られる。
 その場合概ね、家柄重視の時代にあっては源平藤の3姓が多くなる。
 (3)平安時代から地方に下向する源平藤橘の出自である受領(国司)一族が、任期後も土豪と姻戚関係により土着した例が多く、いつしか土豪一族も源平藤橘を称するようになった。
 
 家系とは家督と先祖祭祀を継承するものであり、必ずしも血系の継続を伴うものでないのである。
 後世に多くの家が源平藤橘などから分流したと考えるのは大いなる幻想で、婿養子や猶子、絶家再興、官職就任改姓などの家系継承手続きを経て上古の旧族が中古の名族である源平藤橘に吸収されたのが真相である。
 平基親の「官職秘抄」に「外記史に四姓(源平藤橘)の人を任ぜず」とあり、四姓は公卿などの上級官職に就任する為の格付け的性格を有している。
 また一部の歴史学者が仮冒だ偽系だと騒ぐのも可笑しい話で、出自(家系)とはそういうものなのである。
 それでも出自=血系(男系)にこだわるむきがあるが、天皇家にしても幾たびも傍流から皇位有資格者が皇位継承をしてきたのであり、昭和22年(1947)の11宮家皇籍離脱を因として将来の皇位継承危機が忍び寄りつつある。
 五摂家筆頭の近衛家は、慶長年間に後陽成天皇第四皇子が養子として信尋を名乗り、昭和40年(1965)に細川家より護煇氏が女系から養子として入ったのだが、現代の近衛家が藤原鎌足の末裔に変わりはないのである。
 毛利家は大江広元を祖とするが、広元は藤原光能の子であり中原広季の養子となり、さらに大江維光の養子に転じているのだが血系の藤原氏ではなく大江氏を出自(家系)としている。
 平姓公卿の嫡流は南北朝時代より饍院家が累代継承して永禄9年(1566)饍院時当に至り断絶するが、天正3年(1575)に飛鳥井家より公虎(のち時慶に改名)が養子として絶家再興をする。
 その後に平松、長谷、交野、石井の支流家が成立するが、血系的には藤原氏なのである。
 以上の様に家系=血系(男系)の思想に基づけば、日本中のほとんどの家系は出自不詳と仮冒であり、出自(家系)などは全く無意味となる。       天皇家と源平藤橘   平姓発祥の謎   源平藤橘の代表苗字
  
 皇位継承の古代史 女帝の世紀―皇位継承と政争 大江広元改姓の謎 お家相続―大名家の苦闘
       継承の人口社会学―誰が「家」を継いだか 家族の法と歴史―氏・戸籍・祖先祭祀
       日中親族構造の比較研究
 

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Q20.岡山県に藤原は、なぜ多いのでしょうか?                              
A20.藤原の苗字は全国的にも多く約30万5000人で46位であるが、岡山県は約2万5000人の2位と対人口比で群を抜いて多いことがわかる。
 ちなみに最も人口の多い県は、女優藤原紀香の出身地として知られる約4万1000人の兵庫県である。
 大和国高市郡藤原発祥の藤原朝臣鎌足に始まる藤原氏があまりにも有名だが、末裔の公家藤原氏の多くは家号や別荘地、居住地を名乗り、武家藤原氏も官職系の佐藤や斎籐等、または地名を名乗り後世は苗字化している。
 鎌足の末裔で藤原の苗字を称するものは比較的少なく、多くは藤原氏とは無関係で各地の藤原地名に由来する。
 中でも岡山県は備前国上道郡藤原邑、美作国久米南条郡藤原邑があるほか古代の藤原県に養老5年から神亀3年まで藤原郡(以後藤野郡に改称され、神護景雲3年に和気郡に改称)が設置されている。
 おそらく岡山県の藤原氏の多くは、垂仁天皇裔氏族(和気氏など)と推定される藤原県主や藤原郡司の末裔と思われる。
 

Q21.苗字の分布について                                       
A21.苗字分布のパターンはおおまかに3種類ある。
 (1)苗字発祥地に集中分布・・・発祥地の地名を名乗り、一族が発祥地を中心に子孫が繁殖した場合。
 (2)苗字発祥地近傍に分布・・・領主が配下の百姓に称えさせなかった為、隣村に移動したものが名乗った場合。
 (3)苗字発祥地から遠隔地に分布・・・武士が遠隔地の地頭に任命されて、一族が集団移動した場合。
 発祥地、出自が複数ある苗字の場合は、当然複数の集中分布が見られ、都市部では異流同苗が混住分布。
 移動の多かったのは鎌倉時代から戦国時代末までで、江戸時代に入ると転封などで武士が移動するなどを除き、移住は極めて少なく、現在の苗字分布の大勢は江戸時代初期に形成されている。
 いち早く鎌倉御家人となった島津氏は薩隅日の三国守護として領国下向するが、随従した家臣団に鎌田、名越、二階堂、秩父、千葉、渋谷、足立、児玉、吉見、川越、豊島、宇都宮、梶原など関東発祥の苗字が多数存在する。
 他に鎌倉武士の工藤氏(北海道、青森県)、千葉氏(岩手県、宮城県)、三浦氏(秋田県)、佐々木氏(岩手県、島根県)、後藤氏(山形県、岐阜県、大分県)等の一族移住、信濃発祥の望月氏(山梨県、静岡県)、村上氏(愛媛県、熊本県)、甲斐発祥の丸山氏(長野県)、近江発祥の近藤氏(愛知県、徳島県)等の一族移住が顕著である。
 また明治以降、都市部では他郷よりの流入人口が多く天下の大姓と言われる苗字が増加したが、郡部においては流入人口が少なく比較的昔からの地方特有の苗字の比率が高い傾向にある。
 比嘉、金城、大城、宮城、新垣の五姓が多数派を占める沖縄県は別として、46都道府県において10大姓が人口の10.6%、30大姓が19.1%を占める。
 従って10人に1人が10大姓を称し、5人に1人が30大姓を称しているが、30大姓以外の工藤(青森県)、大西(香川県)、黒木(宮崎県)が首位にある県も存在する。
    ※10大姓の苗字分布については10大姓の分析を参照。
    ※各地域の苗字分布については全国苗字分布地図を参照。 
 
 名字の地図―分布とルーツがわかる わたしの名字はどこからきたの?
 

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Q22.地名と苗字の関係について                                       
A22.日本の苗字の9割以上は地名から発生している。 同一地名も多いが大字のみで20万、小字以下の小地名まで数え上げると延べ2000万を超えると言われている。
 明治時代以降の消失地名も膨大な数にのぼり、改称地名や新設地名も数多く存在する。
 従って地名があるからその地名の必ず苗字があると考えるのは早計である。
 同一地名が多い理由は地形が似ていることにも因るが、上古に氏族集団が日本の西南地域である九州から次第に東方に移動して新しい土地に元の出身地名や氏族名、部民名を付けたことによる。
 中村、原、山田、中野、上野、大野、中山、大谷などの地形名、物部、曾我、大伴、穂積、大江などの氏族名、海部、磯部、刑部、日部(日下部)、田部などの部民名の地名が多いのである。 (例:中村地名と中村氏)
 その上に大陸や半島からの帰化系諸族の地名も多く、秦(波多、八田、幡多)、漢(綾、文)、白、高(駒、狛)などの付く地名や高麗(狛、駒、巨摩)、百済(久多良、久多羅)などがある。
 また鎌倉時代に北条得宗家譜代の被官が全国の守護や地頭として任地に派遣されるが、例えば伊豆国田方郡長崎郷が本貫の長崎氏が肥前国彼杵郡、陸前国栗原郡、遠田郡に所領を持ち、いずれの地にも長崎が存在する。
 上古まで遡れば同族の土地か、或いは移動により命名されたかのいずれかと思われる。 
 
国郡全図「近江国」の膳所付近
 
大日本国細図「伊豆国」の韮山付近
 
 
 日本古代地名の謎 (1975年) 日本古代地名事典 コンパクト版 

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Q23.家紋と苗字の関係について                                    
A23.日本の苗字の多くは、血縁と地縁の混淆により興起している。 この本質を表しているのが家紋である。
 例えばランク1位の佐藤氏は、藤原秀郷の末裔を中核に藤原氏道長流、長家流、村上源氏北畠氏族、桓武平氏服部氏族、菅原氏など数多くの異流が存在する。 しかし、出自を超えて佐藤氏の家紋は、源氏車が圧倒的に多い。
 家紋は地縁集団としての象徴なのである。天下の大姓と言われる他の苗字についても同様である。
 地域的には他の苗字でも同一紋を使用する傾向があり、地域に拠り家紋使用の偏りが存在する。
 都道府県のトップ使用家紋分布を見ると東日本は東京を始め藤紋が多く、西日本は大阪を始め酢漿草紋が多い。
 佐藤姓が源氏車紋に次いで藤紋を多用すること、田中姓が木瓜紋に次いで酢漿草紋を多用することに依る。
 他の地方は美濃を中心に桔梗紋、越中など北陸三県は俗にダラ木瓜、南九州は阿蘇神社の影響で鷹紋、山梨は県内首位の渡辺姓で三つ星紋、静岡は望月姓が多い影響で九曜紋、沖縄は尚家にあやかり巴紋が多い。
     ※全体的な家紋使用傾向については家紋50傑を参照。
     ※各地域の家紋使用傾向については都道府県別代表家紋一覧を参照。
 ただし、地名系苗字の多くは、複数の発祥地を持つ場合が多く、複数の家紋や集団が存在するのが一般的である。
 また、本支の別や家格などにより、家紋に○枠の有無や各種輪付きや多彩なバリエーションが存在する。
 ほかに朝廷、幕府、領主などからの下賜紋があり、一概に苗字と結びつかないこともある。 
 
佐藤氏の代表家紋  榊原氏も同族で同じ家紋。伊勢外宮奉納の絹錦に車紋あり。これに由来する。
 
    ※家紋のバリエーションについては、例:「源氏車紋のバリエーション」を参照。 
 
 苗字名前家紋の基礎知識 家系の秘密―苗字と家紋の考証学 (1980年)
       姓氏紋章お国めぐり〈東国編〉 (1978年) 姓氏紋章お国めぐり〈西国編〉 (1978年)
     戦国武将100・家紋と旗指物馬印FILE  大名家の家紋 (1974年) 
      家紋の秘密―あなたのルーツを解き明かす 公家の生まれか、武将の血筋か? (ワニ文庫) 
      新版 家紋から日本の歴史をさぐる  家系・家紋ハンドブック―これであなたのルーツがわかる 
      よくわかる! 名字と家紋 (雑学3分間ビジュアル図解シリーズ)
 

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Q24.家紋の発祥について                                           
A24.定説によれば平安時代末期の輿車や衣服の文様が転じて家紋が発祥したことになっているが、古代バビロニアの神殿遺跡には菊花紋を始め花菱、亀甲、舞鶴、揚羽蝶、三桝、三階菱、四目結、九曜などが見られる。
 バビロニアの菊花紋はサバ王国、ヴァン王国、ペルシャ王国の紋章として興り、イスラエルのイスタル門にも見られユーラシア大陸の東西に次第に伝搬したことがうかがえる。 またヨーロッパにも波三文字、三並び金輪、直違い菱、麻の葉、繋ぎ鷹、並び斧、五段梯子、松笠などの類似した紋章が見られる。
 十六弁菊花紋は旭日をデフォルメしたもので、日神の象徴として天皇家も用いているのである。
 また出雲大社の亀甲紋も六光紋のヴァリエーションであり、三島大明神や越智氏が用いている折敷に三文字紋も「明治神社誌料」によれば本来は角切菱(亀甲)でバビロニアの海神マルドゥクの紋なのである。
 三文字紋は月神シン(ナンナル)を表わす楔形文字で、越智氏族の家紋がバビロニア起源であることがわかる。
 神話に登場する人物名の××命(尊)はシュメール語のミグトの転訛、天皇を表わす皇尊(スメラミコト)はシュメール・ミグトの転訛であり、家紋と並び名前もバビロニア起源となり重ねて信憑性を裏付ける。
 しかし沼田頼輔博士の「日本紋章学」の大冊が難攻不落の城壁の如くそびえ立ち、紋章の悠久なる歴史とグローバルな広がりに対する現代歴史学者の挑戦意欲を失わせていることも事実である。
 
 
 
 日本紋章学 (1968年) 日本家紋総鑑 家紋大図鑑 都道府県別 姓氏家紋大事典
       都道府県別姓氏家紋大事典 (西日本編)
       ユダヤ人と日本人の秘密―古代史最大の謎 聖書と家紋が明かす真説・日ユ同祖論 (ラクダブックス)
 

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Q25.名前のような苗字は、なぜ生じたのか?                                
A25.荘園(庄園)は多くの名田から構成され、名田には名主として固定化した荘官職(庄司、下司、別当、専当などの役職)名が付けられ、後には小名と呼ばれるようになる。
 中には百姓の台頭が著しい地域において、百姓の名前を付けた百姓名が地名化して末貞名、有友名、助貞名、国末名、国則名、則行名、則元名、安近名などになり、後世にこれらの荘園から発祥した末裔がこの発祥地名を称して苗字化したものが主な由来である。
 現在この形態の苗字は、山口県をはじめ西日本に比較的多く見られる。
 
 日本史小百科〈3〉荘園 (1977年)
 

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Q26.東北地方の金氏と朝鮮の金姓は同族か?                            
A26.現在の韓国における金姓は約880万人(第1位)で、約5人に1人が金を姓とする。
 中国東北地域(俗に満州)の北方諸族が南下して朝鮮半島諸国を建国しているが、中核を形成するのがツングース系扶余族であり中国への朝貢政治を通じて漢姓化の際、多くの場合慣習的に金姓を選択している。
 上古は朝鮮諸国から日本への移民も活発で、特に新羅からは天日槍命の来朝を代表として山陰、畿内、北陸、奥羽地域への移民が多く金姓を称したものが多いが、後世多くは朝廷から二字姓を改賜姓されている。
 中でも朝廷の支配が遅れた奥羽地域は改賜姓が少なく、金姓が多く残存した様に考える。
 我が国では養子による家系継承も多く、源氏、藤原氏、安倍氏、清原氏、小野氏などに改姓した例も多い。
     金姓略系譜
 
  新羅の神々と古代日本―新羅神社の語る世界  天日槍―帰化人第一号神功皇后外祖母家
 

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Q27.十六藤とは?                                           
A27.藤原氏を出自としている名数表にある佐藤、伊藤、斎藤、加藤、後藤、近藤、遠藤、工藤、安藤、内藤、須藤、武藤、進藤、尾藤、神藤、春藤(人口の多い順)の十六苗字のことである。
 
  由     来 
佐藤
 左衛門尉藤原氏。佐野藤原氏。
 
伊藤
 伊勢藤原氏。伊豆藤原氏。
 
斎藤
 斎宮寮頭藤原氏。
 
加藤
 加賀介藤原氏。加賀藤原氏。
 
後藤
 藤原氏後裔の意。
 
近藤
 近江掾藤原氏。近江藤原氏。
 
遠藤
 遠江守藤原氏。遠江藤原氏。
 
工藤
 木工助藤原氏。
 
安藤
 安倍藤原氏。
 
内藤  内舎人藤原氏。内蔵助藤原氏。
 
須藤  那須郡司藤原氏。那須藤原氏。
 
武藤  武蔵守藤原氏。武者所藤原氏。武蔵藤原氏。
進藤  修理少進